すべての夢のたび。

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変形「囚人のジレンマ」実験(そして、不確かな日本の希望?)

ululunさんのエントリで紹介されていた『社会的ジレンマ―「環境破壊」から「いじめ」まで (PHP新書)』をおととい買って、新書なのにだらだらまだ読んでる最中なんですけど、面白い実験結果があったので紹介します。いわゆる「囚人のジレンマ」なんですけど、ここではこのように設定されています。

  • 2人のプレイヤーに「実験参加のお礼」として500円ずつ渡す。
  • それを相手に渡すかどうかを決める。渡した場合、相手には実験者から500円上乗せして計1000円が渡される。

つまり、2人とも500円を相手に渡さなかった場合、得るのは2人とも500円となり、2人ともが相手に渡した場合、500円ずつ上乗せされるので2人とも1000円を得ます。片方だけが渡した場合、渡した側はゼロ円となり、渡された側は500+1000で1500円を得ることになります。


筆者は、この実験を変形し「順序付き囚人のジレンマ」とします。プレイヤー1が500円を渡すか渡さないかを決定し、その結果をプレイヤー2に伝えた後で、プレイヤー2の選択を見る、というふうにしたのです。そしてこの実験を日本・アメリカ(5ドル)・韓国(4000ウォン)で実施したそうです(詳細は略します)。さてどういう結果になったか?

それでは、第2プレイヤーは実際にはどう行動したでしょう。相手(第1プレイヤー)が500円を提供していないことがわかったうえで自分の500円を提供しようという人の好い第2プレイヤーは、日本人の場合には1割程度、アメリカ人の場合にはゼロ、韓国人の場合にもゼロでした。この結果は、相手が非協力行動を取っているのに自分は相手に協力するという聖人のような人は、まれにしか存在しないことを示しています。


おいちょっと待てと。聖人は少ないとかってスルーしないでくれと。1割の日本人は、相手が500円をくれないことが解っても自分は相手にあげる、相手にだけ得をさせてあげる、と言っているわけです。アメリカゼロ、韓国ゼロ。これが、世界の、ごくふつう、だと思われます。この実験から解るのは、国民性の違い、というか、「日本人は、バカか、お人好しか、聖人か、またはお金持ちである」、ってことなんじゃないでしょうか(その全部?)。あるいは実験者の目を気にしている、いい人と見られたい、とか?

このあと、逆パターン、プレイヤー1が500円を渡すことを選択したケースも紹介されます。本来ならプレイヤー2はこの場合は自分は渡さないほうが利益が大なのですが、日本人の75%、アメリカ人の61%、韓国人の73%が、プレイヤー2も500円を相手に渡す、という結果になったそうです。そして筆者は、「相手が協力してくれているのにつけ込んで甘い汁を吸おうという筋金入りの利己主義者は、この実験の参加者の3割程度しかいないという結果でした」とし、相手が協力している限りは自分も協力するほうが総合的には満足度が高いのだ、と結論づけます。


でもなんかなぁ、わたしはここにミスリードのにおいを感じるんですよね(上の太字の文章とかどうよ?)。この実験、そもそも損はしない構造になっているわけです(実験に参加した時間を除いては)。これが、例えば「500円は参加費として自分持ち」だったらどうなると思います? 相手に渡す人が減ることは容易に想像されます(っていうか、そもそも実験に参加しようって人が減るでしょうけど)。それとか、例えば最初に1万円を実験者から渡されるんだったら? 相手に渡さずそのまま利益確定して終了、じゃないでしょうか(だって渡しちゃって、相手がくれなかったら1万がゼロだよ!)。やっぱり、こういう実験って、被験者にとってマジな金額、リアルな損得でないと、有意な結果は出てこないんじゃないでしょうか? 相手がくれないのに500円渡しちゃう日本人も、そのくらいどうだっていい金額だから、ってことでしょう? どーもなぁ、この本読んでると、筆者のひとは、「みんな、ほんとは、協力したがってるんだ!」って方向に話を持ってきたがってるように見えてしょうがない(しかし、わたし自身が穿った見方が大好き!な人なので、この文章自体もある程度ミスリードと見なして貰ったほうがよいとは思いますが)。


ところで、この「順序付き囚人のジレンマ」、そもそも第1プレイヤーのうちのどれだけが、相手に500円を渡すことを選択したのか? 日本人の83%、アメリカ人56%、韓国人55%だそうです。どうも、日本人がちょっぴりいいひとっぽいことだけは、間違いないみたいです。