すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

生は無条件に是、というわけじゃない、と思うな

それは「目的を持って生きろ」とか「人生の意味を探せ」などという話じゃなくて。もっと単純に、「人間さぁ、増えすぎじゃね?」ってぼくは感じる、ということ。


「なぜ人を殺してはいけないのか?」とか(またきたよ!)「なぜ子供を作らなくてはいけないのか?」というようなことを書くと、必ず、「そうしないと社会が維持できないから」という人が現れる。で、「なんでそんなに社会を維持したがるの?」と問うと、「全てのものごとに必ずしも理由があるわけではない」とか、「維持することそのものが目的だ」などと言われたりする。


そうなの?


そうなら。たとえばここが限りある土地と資源しかないスペースコロニーだったとしたら、産児制限とか、きっとするでしょう。でも実際ここは宇宙船地球号かもしれないわけで。だって日本に2億人とかさ、住まないでしょう? 生命をつないでいく、ことが、ひとのやるべきただひとつのことなのだとしたら、ねぇ、むやみやたらに人口を増やせばいいってもんじゃないと思うな。産めよ増やせよ、とか、産めよ増えよ地に満ちよ、ってのは、のどかだった時代の仰せ付けなんじゃないのか。

したら残るべき人が残るべきですよね。で、いま現にそうなってきてるんじゃないの? いいんじゃないのかな。モテる人が、よくわかんないけど強かったり頭良かったり顔良かったりする人が、優秀な遺伝子が、残っていくわけで。社会のためには、それでいいんじゃないですか? ぼくはオタクとかはそうやって人口を減らす方向で社会に貢献してるんじゃないかと思うな。たっけーアニメDVDとかゲームとかフィギュアとか買ってさ、自分の未来のことも考えずにお金を世に回してる。独りで。良いじゃない。と考えればオタクの生もある方向からは肯定してあげられる気がする。


実際にいま起きているのは少子化じゃなくて多老化だとぼくは考えているわけです。平均寿命が延びすぎなんだよと。納めてる年金とかさ、自分の将来へ向けて蓄えられてるわけじゃなくて、いま生きている老人の生活を支えるために使われてしまっているわけでしょう。そしてさらに今後、若いのは減り年寄りは増え、支える方がどんどんキツくなってく。でもそういうのはいつまでもは続かない、と思う。どこかで臨界点がきて、がくん、と老人の数が減る、時がくるんだと思う。だってまず自分の生活が成らないなら人に回す余裕なんてないでしょう。負担が多すぎて働く意欲もなくなる、みたいな。

なんかそういうのが、ちょうど自分(ぼく)が働けなくなったあたりで起きそうだよなぁ、って気がするんですよね。そのころまでには、政府は公的な「自殺のための施設」を用意しておいて欲しいと思う(銃夢に出てきたっけ?)。うん、姥捨て山のちゃんとしたやつ、現代版ですよ。いまだって事実上、増え続ける自殺者は放置という形で黙認されているわけだし。きちんと認めてしまえばいいじゃない、と思う。そうすればわざわざ警察とか出てこなくていいから費用も浮くでしょう。ラッシュに電車止めたりもしなくて済むでしょう。何十年か掛けて、倫理を書き換えればいいんですよ。そこには限りがあるのだ、ゆえに、新しく来たる者に道を空けよ、ってふうに。


つーか世界中で起きてるいろんな問題がさっぱり解決しない、ってことそのものが、組み込み済みの調整機能の一環だったりしたら笑うよねー、とかも思ってるわけですが。