という結論に達しました。
うちのブログのコメント欄に来てうにょうにょ言い続けてるひと、と、自分のブログでうにょうにょ言い続けてるぼく、は、まさしく相似形なんだって合点がいった。つまり、なーんか反シャカイ的?っぽいことをぶちぶち言い続けてるようなうちのブログなんかは、世間様に「荒らし認定」されている、と、そういうわけなんだなぁって思った。だから「荒らしヤメロ」って人が現れ続けるのね。
(まぁあの程度のを「荒らし」とは言わないと思うけど、便宜上ここでは)「荒らし」の人は、どういうふうな気持ちで「荒らす」のかなぁ、と考えてたんですが、けして「ウヒヒヒヒ」ではなく、むしろ善いことをしてると感じてる、のだろう、と思いました。根拠のひとつとしては、まずぼく自身が、このブログは、少ないだろうけど誰かのためにはなっている、と考えていること。もうひとつは、悪い奴に悪いことをするのは善いことである、から。安定してる社会は定義上、善です(復習:社会が安定している→共通の価値観を持つ多数派が存在する→多数派の倫理が善とされる)。だからそこにあれこれ文句付けるのは端的に悪です。そして、善いものに対して悪を為すものを懲らしめるのは善いことに決まってますゆえ。だって、そうでも思わないと、「『はい、はい、よ、か、っ、た、ね、(、プ、ッ』……と。よし」ってコメント欄にタイプして投稿ボタンを押すところを横から撮影されたその口元がもしニヤケてたりしたら、耐えられないんじゃないですか?