すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

今日も愛されてる

さて本題。14日のエントリはそれだけで独立はしているけれど、前フリ。「一人称による経験の表明は検証不要/不可能」というのが、先のエントリのキモ。たとえばストーカーが、(つけ回している)「相手から愛されている」というようなことを主張しますが、それはストーカー本人にしてみればホントウにそうなのであって、単純に真実愛されちゃってると感じているだけなのであり、周囲の人間が「そんなわけない」とかあれこれ言っても意味がないことなのです。オバケとか見ちゃったひとも同じ。見ちゃったもんはしょうがないのであって、なんと言われようとも「ホントウだってばー!」なのです。


で、みちアキは「世界に愛されている」と感じている人なのですが。


…………。


ホントウだってば! ありありと実感としてそれはあるんだって! 別に、やたら運がいいとか、特別な配慮や采配を感じる、というのではなく、人に愛されるのとまったく同じように、ただ、世界に愛されてる、と思う。そしてたぶんコレがあると、1人でも生きていけてしまうんだな。ぼくにとっては、特定の人に愛されるということは、特別おいしいごはんをいただくとか、嗜好品とか、そのようなものであって、もちろんあったらあったでとても嬉しいけれど(ていうか、今だっても愛されてるし、愛してる人も(各方面にいっぱい)いるけれど)、たとえそれがなくっても、ふつーに世界から供給される愛だけで、世界を生きていくには全然充分なのですよ。

……というところまで辿りつくには、やっぱり、人から愛されるという経験を通り抜ける必要はあるかもなぁ。必須ではないのかも知れないですが、あったほうがよさげ。つか、はぁ、「辿りつきたくない!」ですか。うん、こういうのはもしかすると狂気を飼い慣らす行為で、ここが世間と意思の疎通が図れるギリギリの場所、なのかもしれない。まだ話は通じますよね??