すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

なぜぼくは人を殺さないのか

なんだか「なぜころ」がまた流行ってるようだから(しらじらしい)ぼくもひとつ書いてみますか。


それならなぜぼくは殺さないのだろう、と考えたときに、思い当たる理由は3つでした。

  • 誰かを殺すと多分捕まる。死体とかそうそう隠し通せるわけもないし、日本の警察は優秀だ。で、捕まったら、ひどい目に遭う。
  • 誰かが死ぬと、多分泣き悲しむ人がいる。家族とか、親しい友人とか。
  • 誰かが痛がったり苦しがったりするのを見るのが嫌だ。特に音、ほんものの悲鳴等はいつまでも心に残る。

しばらく考えてみたのだけど、この3つ以外は浮かび上がってきませんでした。つまりこれらの制限がなくなったら、ぼくは人を殺すだろうということです。というようなエントリを前にちゃんと書いています。

http://d.hatena.ne.jp/./michiaki/20050628#1119886216

たとえば、ぼくが歩いていて、いまから拳銃で自殺しようとしている人にバッタリ会ったとします。で、なんだか世間話になります。その人は身寄りも知り合いもまったくいないそうです。そして、自殺しようとする理由を聞いたら、そりゃ仕方ないよなぁと、すごく納得できてしまいました。で、その人が言います。「良かったら、これ、撃ってみます?」 自分を撃ってみるか?と言うのです。ぼくは自殺肯定派だし、もし、どこを撃ち抜けばその人が苦しまずにすぐ死ねるかを知っていて、かつ、撃ったことが全く発覚しないという確信が持てれば、ぼくはその人から拳銃を受け取り、引き金を引くだろうと思います。拳銃で人を撃つことに関心がないわけではないからです。

「関心がないわけではないからです」などと回りくどく書いてますが、ほんとは関心は「あります」(←グアムで実銃を撃ったことあり)。ああっ、でも改造モデルガンでこそこそ人を撃ったりはしませんよ〜。そういうなんか嫌がらせみたいなのがしたいのではなくて、あくまでも、自分の手で、実銃を、人間に向けて撃つ。それはどういう気持ちがするものなのだろう、というのが(ちょっと)知りたいのです。(ちょっとです。わざわざそのために外人部隊に入ろうとは思いません)

殺人で捕った後、「人を殺す経験がしてみたかった」と言った17歳がいましたが、その気持ちの一部はわかるような気がします。しかし実際には、人を殺すという行為には面倒ななんやかやが一緒に付いてきてしまうので、上で引用したような後腐れ無しの状況、ぼくの望む「純粋殺人」はまずできないわけですよ。17歳はそれがわからなかったのか、それを上回るほど経験したかったのかは知りませんけれど。

ぼくは、自分がそれなりの状況に置かれたら人を殺すだろうことは想像ができます。まぁ上で引用したようなのはないでしょうけれど、身内が不治の病気でもう見てらんないとか、事故でもう助かりそうにない人に出くわしてやっぱりもう見てらんないとか、そういうケースでならなんかやってしまうかもなぁとは思います。