すべての夢のたび。

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知られざる数

「100」や「1000」は有名な数だ。100円玉とか1000円札とかあるし。0や1や2や3や4や5……なんかは、超有名な数。100くらいまではそうかも知れないけど、たとえば「352」とか「587」は、「10000」「100000000(1億)」なんかに比べても、有名度は落ちるかも知れない。他にも有名な数はいろいろある。「1億2千万」「16777216」「46億」「6433」「6502」「801」「573」「666」「8844.43」「2012」「4575832618」「144000」「5085635」「142857」「299792458」「10の80乗」「10のマイナス32乗」などなどなどなど。

では、「85625190267534702」はどうだろうか。有史以来、人類がこの数を目にするのは今日が初めてのはずである。いや、ビッグバン以来、137億年前の宇宙開闢以来、その内に存在する知的生命体がこの数を認識するのはこの瞬間が初めて、と言ってもおそらく問題はないだろう。少なくともGoogleで検索しても出てこない。もちろんこの数はわたしが先ほどキーボードを適当に叩いて作り出したものだ。この数は、存在する、と言える。ここに書かれているし、あなたがいままさに見ている。「100」や「1000」という数が存在すると言えるなら、同じように存在する。イデアとしての「100」や「1000」は存在するのかどうか知らないが、具象としての100円玉や1000円札が存在するように、「この文章に書かれた数」として「85625190267534702」は存在を開始した。しかしこの数はほんの一例(まさに一例)に過ぎない。このような、未だ人の目に一度も触れたことのない「知られざる数」は、それこそ無限に考えることができるはずだ。

それらの知られざる数は、「存在する」と言えるのか? 「ある」と言えるのだろうか? 人間の目がまだ触れない数で世界は充ち満ちている、ということなのだろうか? そもそも「存在する」とはどういうことか? あなたは何をもってなにかが「存在する」と言うのか? 存在するものは、時空間内に一定の領域を占有するはずなのではないか? では「知られざる数」はどこに存在するのか? 「100」や「1000」や「85625190267534702」は存在する。100円玉や1000円札が存在するし、「85625190267534702」という数はいままさに、世界のあちらこちらのコンピュータのハードディスクに記録され始め、現実界への浸透を開始した(やがてGoogleで検索できるようになる)。このように「存在する」ものは、世界の中になにか足掛かりを持たなくてはならないはずだ。そう考えれば、幸運にも現実界へ現れ出でることができた「85625190267534702」の仲間の無数の顧みられざる数たちは、少なくとも「85625190267534702」と同じようなモードで存在しているわけではない、と言えるだろう。

宇宙内の原子の数はたかだか「10の80乗」個程度である、と言われている。当然だが有限である。これらの原子を全て、数を表現することのためだけに使ったとしても、無限に考えられる「知られざる数」たちのカケラも書き表すことはできないだろう。ましてや、実数全体は非可算(=数えることができない(ほど大きい、と言える))だ。それらの数は、ただ全体的な概念(「まだ人の目に触れたことのない数」「実数全体」といった)が存在するのみで、ひとつひとつの個別の数としては、少なくともこの物理宇宙内には存在していないということだろう(ではどこかに存在するのかどうか、は知らない)。

同じように、全体的概念としての円周率は存在するが、有限である「計算済みの部分」と無限に残っている「未計算の部分」は、その存在様式が違う、と言えるだろう。計算済みの部分(1兆2411億桁)はどこかの大学の計算機室のハードディスクに保存されているだろうが(10進で表現してもたったの1.2TBなので、秋葉原で300GBのハードディスクを買ってくれば4万円ちょっとで収まる)、未計算の部分は、計算済みの部分と同じような形では存在しない、実際に計算されるまでは存在しないのだ。いきなり「じゃ、2兆桁目の数字を教えて?」と聞かれても、それは誰もわからない、1桁1桁計算を続けた結果2兆桁目に辿りつくまでは、ただ概念として存在するのみで、具体的な数字としては存在しないのだ。計算された数字、人の目に触れられるように表現された数字のみがこの世界内に存在を始める。計算された部分から先は崖っぷちであり、計算することこそがリアルを押し広げる行為なのだ。


というわけで、円周率の未計算の部分の数字は「存在しない」のです。以上、「騙されるな!円周率に自由意思があるなんて与太話もいいところじゃないのかなぁ」でした。(ちなみに「314159265358」という数字すら、計算済みの部分に1回出てくるだけらしいです)