すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

「自由意思」に関して(略)

昨日のエントリはとりあえず置いといて(inumashさんありがとうございました)。


えーと、科学インタープリター、という職業がありまして。どういうものかっていうと、もう今の科学って複雑で専門的すぎてプロ以外は簡単には手が出せないものになってるから、そういったものを解りやすく噛み砕いてみせて、凄さとか実用性とか魅力とかをTVやら本やらで一般の人に紹介する人、みたいな?感じでしょうか。

で、ぼくは哲学インタープリターをやりたい。って言うともう全然言い過ぎのような気もするけど、まぁいいのかなぁ、とも思う。哲学って単に「自分の頭で考えること」のことだと思ってるので。どこが面白いんだかわからないようなことや、「あたりまえ」として素通りされてしまうようなこと、の、ここだ!ってのをグッと掴みだして、誰にもわかるようなことばに編み直して提示する。それを見た人がちょっとでも立ち止まって考えてくれたら、いいなぁ、と思うわけです。

だから「自由意思のある/なし」に関しては、問題自体は面白いと思うけど、あるのないのは、まぁどっちでもいいなぁ、って思ってます。どうせそんなのわかんないし。「ない」って主張したいらしい、って見える人もいるでしょうけど、「ある」って見方が一般的だから反対の立場にならないと話を始められない、というだけのことです。


というのとは別に、自分がこの先に考えを進めるにあたってのヒントでも出てこないかな、って気分もまた、ある。そういう観点で行くと、「不可知でしょ」とかいうのは、まぁ想定の範囲内(というか、ぼく自身の態度がそれに近い)なので、あんまり面白い意見じゃないわけです。「自由意思の定義は?」と問い返されるのも、大方に話通じてるところのソレのことですよ、で充分だと思うし。「時間は巻き戻らない」ってのもなぁ。そこがダメだったらフィクションはただそれがフィクションであるからという理由ですべてダメになってしまう(すぐそういうことを言い出す「世界をつまらなくする勢力」には抗していきたいと思ってます)。

でも、巻き戻す、って例え話を持ち出すのはほんとうは不要なんです(だからそもそも突っ掛かるほどの場所じゃないんですが)。仮に人間の意識をコンピュータで完全にシミュレートできるとする立場を取るなら、それは古典物理の範疇の出来事であり決定論的だから「自由意思」の存在は有り得ない、って言ってしまえば通じる人には通じる。そこをまぁ、興味持ってもらえるように通訳、してみたいわけですよ。するとああいうふうな語りがいいかな、ということになった。けれどいったん問題に手が届いてしまえば踏み台はもういらなくなるわけです。(もっとも、「こうとしか語り得ない」という種類の問題もあり、そういうのは通訳したことによって本質が変わってしまうこともありますが、まぁそれはそれで)


やっぱりichinicsさんの「もしかして意志とは、行動を意味付けるものなのだろうかと思った」って言うのがちょっとグッとくる。「意味」って言葉が出てくるのが、おお、と思った。というのはペンローズが(またかよ)件の本で「計算システムには意味という次元は存在しない」と言っていたので。このペンローズの主張がなんかすごくヤバい気がしていて、いまそのあたりをぼくはぐるぐる考え続けているのです。

たとえばサルがタイプライターを叩き続ければ、いつかはシェイクスピアが書ける、という話。なぜ「いつかは」なのかってーと、もちろんサルがタイプライターから出てくる文字列の意味を理解していないからです。円周率で「ゼロが10桁続く場所」だって、数学的には「出鱈目にしか見えない数字が10桁続く場所」と別に変わりなく、特別でもなんでもないわけです。あなたの見ているモニタに表示されているこの文章だって、パソコンのメモリ上ではゼロと1のビットの並びがただただ延々続いてるだけなのです。

つまり、ものの「意味」はシステムの外側からやってくる。初めからそこに意味があるのではなく、意味は与えられるものなんですね(教訓ぽい)。という思想における「ビット列:文章」と「ニューロンの発火:意識」の対比。そして自分の存在に意味を与えるためのフィードバック回路の必要性。出力の一部を入力に戻せ。自己言及が必要なんだ。なるほどゲーデルですか。ではシステム内の記号だけを使ってシステムの外へ出るにはどうすればいい????(いや、もう、それ、やれているはずなんだけど……)

ってあたりで何かつながりそうでひらめきそうでドキドキしています。ああもう。誰かヒントくださいヒント(「何言ってるのかぜんぜんわかんないですー」)。+