すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

生物は遺伝子を運ぶための尊い器、なのだそうよ

人力検索におもしろい質問が。http://q.hatena.ne.jp/./1160737424

Aくんは学校の生物の授業で遺伝子の勉強をしました。
生命は遺伝子という大昔からの命の繋がりの上に成り立っている
と知ったAくんはとても感動しました。
生物は遺伝子を運ぶための尊い器なんだ!と。

しかし、Aくんはある事情により、自分の遺伝子を残すことができないのです。
Aくんは、自分には生きる意味がないような気がして悲しみにくれました。

Aくんに何か声をかけてあげるとしたら
あなたはどんな言葉をかけますか?


よい質問ですね(みなが楽しめる、という意味)。ぼくは「子供を作る」ということ(またその話か!)に興味がないので、(金銭的・時間的コストの話を除けば)別に断種手術をしても構いません。が、やらないのは、この先そういうことがあるかどうかはわからないけれど、女性と付き合うようなことがもしあったら、「子供が作れない」ということが不利に働くケースがあると想像されるから、ぐらいの理由かなぁ。まぁ自分も気が変わらないとは言えないですけどね。


最近は、「人類の寿命」ということをよく考えます。もちろん「人間の寿命」というのはあって、大抵のひとはそれを知りつつ考えることを避けながら日々を暮らしているわけです。でも、「人類の寿命」っていうのも、あるんじゃないかなぁ、と思う。ぼくの予想では、根拠を示すことはできないけど、なんとなくそれは、残り100年〜1万年くらいの間なんじゃないかと。短い方は、戦争やら環境破壊の影響やらで人類滅亡のシナリオ。そこを生き延びて数100年より先の話になると、ここしばらくの文明発展の速度からして、どうなってるかはもう予想できない。でも1万年を超えたら、そこにいるのはもはやいまのような人類じゃないんじゃないかなぁ。「こころのかたち」が変化してたり。いわゆる進化(突然変異と自然淘汰)はいまも続いてるわけだし、「自我の獲得」は実は生存競争には不要でした、って結果になってたりね。

つまり、遺伝子を運んで、それでどうすんだ、と。「人類は永遠に発展し続けることが可能」という暗黙の前提は「馬の鼻先のニンジン」or「宗教の一種」のようなものであって、そこに基があるものの考え方・倫理道徳は、ぼくにはリアルに感じられないので信をおけないのです。もちろん個人が幸福であればそれでいいと思うので、ほとんどのひとはわざわざこういうヒネた見方をしてみる必要もないのですが。

「みんな死んじゃうから意味ない」と言ってるのではないことぐらいはわかって欲しいところ。


追記:ちなみに「もしも今人類がいなくなったら」。なんか意外と早く地球はクリーン状態に復帰するっぽい。