すべての夢のたび。

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「とげとげ」と「ねばねば」のはなし

今日は、「とげとげ」とは、「ねばねば」とはなにか?ということについてお話いたします。


かんたんに言うと、とげとげは「理性的・還元主義的」性質、ねばねばは「情緒的・“すべては繋がっている”的」性質ですね。世の中のものはだいたいこの2つの性質のいずれかに分類することができます。

たとえば、科学はとげとげですね。一方、宗教はねばねば。17世紀以降の世界はずっと、「とげとげ派」が優勢でした。もう科学が宇宙のなりたちのすべてを明らかにするのは時間の問題、みたいに思われていた。が、20世紀になって、科学のなかにもちょっとねばねばしたやつが出てきてしまい、21世紀の世界はすこーし、「ねばねば派」が盛り返しつつあるかなー、という感じです(とは言えとげとげの圧倒的優勢は変わりなし)。ねばねばしてる科学はなにかっていうと、例えば相対性理論とか。なんつっても“相対性”ですからね。この世界は時空連続体であって(ほらねばねば)、絶対的な存在などないんだよ、って理論です。あとはおなじみの?不確定性原理とかもねばねばしてますね。「シュレディンガーの猫」も、とげとげ界とねばねば界を無理につなぎ合わせたらどうなっちゃうのか?って話です。

宗教は一般的にはねばねばですね。でもキリスト教とか西洋の一神教はちょっととげとげ系が入ってるかな。東洋系はもう、ねばねば〜〜って感じですね。なんでもありの。理屈通らない感じの。そこ行くとキリスト教とかはほら、神の存在を証明してやるぜ!みたいな話になっちゃって、少しとげっぽい要素があります。異教に厳しいからすぐ戦争になるしな。神は存在する、だから教会へ行く、って態度はとげとげですね。むしろ日本人みたいに、別に宗教を信じてるわけじゃないけどクリスマスはやるぜー初詣は行くぜーみたいなほうがなんかねばねばしてる。でもそこで「なぜ無宗教なのにイベントをやるのだ」とか言い出す人はとげとげ。

モヒカン族はもちろん、とげとげですね(メタ含む)。でもotsuneさんぐらいまで行くと、あまりにも細かくすりつぶしすぎてむしろもうねばねばしてきてるんじゃないか……みたいな感じもある。ていうか先進国に住んでる現代人は一般的にはとげとげか。でも男性の方がよりとげとげ。女性はねばねばしてる。毛繕いコミュニケーションなんかはねばねば行為ですよね。

音楽はねばねば。というか芸術はねばねばしたものですね。数学や論理学はとてもとげとげ。ウィトゲンシュタインの前期の「論理哲学論考」なんかは究極的にとげとげしてる一品だったわけですが、後期は言語ゲームとか言い出してねばねば風味でした。ねばねばの中からとげとげを切り出す作業をしていたのかもしれません。人間が使う言語はとげとげの部分とねばねばの部分と、両方を持っています。まぁ通常はそれをとげとげしく使い、とげとげしく解釈される場合が主ですが。ところが19世紀のソシュールの登場によって一気に「言語は実はねばねばしたものである」ということにその定義を変更されてしまい、現在でも言語学ではその見方が一般的です。と言っても多くの人はまだ、言葉というものはとげとげなんだと思ってますけどね。でも、辞書を引いてみて、AとはBのこと、BとはCのこと、CとはAのこと、ってループを発見した経験は誰しもあるんじゃないかと思いますが、これが要するに言語はねばねばだって話です(絶対的基盤がないということ)。


というあたりで時間切れになったので寝ます。もうちょっと書き足す予定。

追記:続きは別エントリにしました