すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

わたしは幸福ですか

昔、こんなジョークを見ました。

あるところに、自分をトウモロコシの種だと思い込んでしまった一人の男がいた。彼は入院させられ、治療され、そして退院することになった。医者が男に尋ねる。「ところであなたは、今でも自分をトウモロコシの種だと思っていますか?」 男が答える。「とんでもない! 先生、わたしは自分をトウモロコシの種だなんて思ってはいません。もちろんわたしは自分を人間だと思っていますよ」「それはよかった!」「でもね、先生」「うん、なんでしょう?」「ニワトリのヤツも、わたしのことをトウモロコシの種だと思わないでいてくれるでしょうか? それが心配です」


ぼくは「自分が幸福なのかどうかわからない」というような話を聞くと、このジョークを思い出します。


「自分が幸福なのかどうかわからない」という人は、すでにして幸福じゃないのです。「幸福」は「痛み」と同様、主観的でしかありえないものだから。腕をなにかにぶつけて痛みを感じる。あるいは、感じない。それがわかるのは本人だけであって、たとえ外から見てどんな状況(どう見ても折れてます、とか)であっても、本人が痛みを感じていないなら、他人が「彼は自分の痛みを感じられていない」などとは言えません。それは端的に「(彼は)痛くない」というだけのことだからです。

幸福についても同様。幸福であるがそれが感じられない、という状況は、ない。もしも「自分が幸福なのかどうかわからない」という人がいたとしたら、それはそんなムツカシイ状況なんじゃなくて、単に、他人の価値観に合わせようとして失敗してる、と。説明しちゃうとあまりにもつまんないんですけど、ほんとにただそれだけのことだと思います。

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池田信夫さんのブログのエントリがブクマされてて、そのタイトルを見てすぐこのエントリを思いついたのですが、あとで池田さんのエントリの内容を見たらもうまったく全然関係なくって、でもリンクだけしときます。