すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

死刑制度についての過去のぼくの意見

一本足の蛸 : 死刑制度を支持するということは、自分で手を下してでも死刑を執行したいということだ


なんか昔そんなようなこと書いた気がするなぁ、と思って過去ログを漁ってみました。あった、2005年。


「で、みちアキはどうするの?」 : おおきくて あおい セイバーさん

どうしてセイバーさんから死刑に話がつながるのか? 読み返して自分でも驚いたけど。

ぼくは、国民の司法参加として裁判員なんかを選出するんじゃなくて、死刑執行人を抽選で持ち回りすればいいのにって思うんですよ。いまは4-5人のひとがボタンを押して死刑を執行するようになってるみたいですが、ちょっと少ないので、1回100人くらいにします。で、いっせいにボタンを押すと、死刑囚の足元の板が落下して首吊り! もちろん執行人は、絶命するまで見届ける義務があります。首に縄をかける係や死体を回収する係はその場で抽選がいいでしょう。

ぼくはやってみたいですね。どっかの子供が「人を殺す経験をしてみたかった」と言ってましたけど、ぼくもしてみたい。なにも問題はないですよ? だって死刑囚(=死んでいいひと)だし。それでぼくがなにか傷を負うとしても、それは負うべき傷だったはず。この提案に問題があると感じるひとは、現に死刑制度の存在するこの日本国に、あなたの代わりに死刑執行のボタンを押してくれている刑務官がいることを、ちゃんと知るといいと思います。


相変わらずだなぁ。過去ログを読み返すのは結構勇気がいる行動で、自分の悪いパロディを見ているような気分になったりするときもあるんだけど、このエントリはまともというか、むしろいまよりいいんじゃないか?という気もしなくもない。