すべての夢のたび。

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「生きる意味」について考えてみる

おおざっぱに言って、「生きる意味」をめぐる議論には、「生きることそれ自体に意味がある」派と「生きてなにかを為すことに意味がある」派があるように思います。そしてぼくはおおむね、後者の立場から話をすることが多いようです。

それで、この二大派閥ですが、人間は前者から後者に進化したんじゃないか、と、最近(いろんな本を読んだ結果)考えるようになりました。前者はどうぶつ、後者はヒト。人間は、どうぶつからヒトになったのです。

どうぶつというのは、食べものを探して探してを食わねば死ぬ。ほっとけば死ぬ。まず生きのびることが至上命題という、そういう存在。そして、人類もほんの100年くらい前までは、全体的にどうぶつだったんじゃないかと思うし、この世界のいくらかの部分に住む人たちはいまだにどうぶつだし、終戦後の日本なんかも、しばらくの間どうぶつだった。

でも、ここ最近の人類とか、いまのぼくとか、食べものはあるし寝るところもあるし、べつに頑張らなくても死んだりしない。こういった状況になって初めて、人間に、自らを振り返る余裕が生まれてしまい、あれなんでこんなことしてるんだったっけ?とか自問してしまうようになる。そこでやっと、生きる意味を求める存在としてのヒトが誕生するのではないでしょうか?

なので、派遣を切られた人たちに生きる意味とか問うてみてもせんないのねー、ということでした。もともとどうぶつだったのか、ヒトから退化してしまったのか、そこはわかりませんけども。それと、ここでいうどうぶつが、東浩紀さんのいう“動物化”の動物と一緒なのか似てるのか、そのへんはわかりません。前に本読んだんだけどもう内容忘れてしまいました。