すべての夢のたび。

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ありきたりな話をします

VIPPERな俺 : なあお前ら、「死」についてわりと真面目に語り合ってみないか?

VIPPERも死について考えたりするらしい。もちろん釣られて一通り読んだけど、まぁ特に面白い解釈はなかったかなぁ。

44 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/04/16(木) 19:58:08.13 ID:hv0dxdj7O
誰も実体を知らない死は究極の謎
人生の最後にそれを体験できるなんて素晴らしいよな

気持ちはこれに近いけど、死は究極の謎じゃない。

死ってのはつまり「私の死」のことだ。他人の死なんてそこらに溢れてる。見ればわかる。死ねば動かなくなる。燃やされたり埋められたりする。戻ってくる人はいない(稀にそう称する人もいるが)。それだけだ。

しかし「私の死」はこれらとはまったく異なる。私の死は経験できない。人間は「現在そのもの」を知ることはできない。常に、一瞬あとから「過去のもの」として"仮の現在"を経験できるだけだ。経験とはいつだって過去についての経験であって、ぼくらは一歩先を行く現在を毎回取り逃がしている。「死の間際」は私に経験可能だけれど、死それ自体を経験できる私はもう存在していない。

このように「死」に特別な意味を付与することのできる「私」とは何か。これこそが究極の謎だ。同時に、鋳型として私を育んでいる「世界」とは何か。これも究極の謎だけど、実際にはこの2つはおなじものだ。人によってはここに、それらを創った「神」も加わる。結局のところ大事な話なんてのはただこの2つ3つのことです。他にはない。

211 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]投稿日:2009/04/16(木) 20:49:48.36 ID:ZL8NYmM80
こういうこと考えてると最終的に
こまけぇことはいいんだよ!のAAが浮かんで終了してしまう俺


まぁそうなんだけどねぇw