『ありあまる富』椎名林檎
名曲がまた作られてしまったと思いました(PVはHQで見るのお薦め)。イントロのギター。そして変なところから入ってくるボーカル。沁みいる詞と歌いぶり。で、歌が終わっても続く、この曲ぜんたいを良いものにしているギター。懐かしい人でした。
この曲の歌詞には、彼ら、ということばが何度か出てきます。
僕らが手にしている富は見えないよ
彼らは奪えないし壊すこともない
もしも彼らが君の何かを盗んだとして
それはくだらないものだよ
返して貰うまでもない筈
彼らが手にしている富は買えるんだ
見る通り、「彼ら」は「僕ら(君)」と対になって置かれています。そして、「僕ら」に害をなす、善くない存在として書かれているように見えます。
そこが、すこしだけ引っかかる。
ぼくは「ほんとはみんないいひと」という素朴なファンタジーを信じています(正確には「ぼく以外みんな」だけど)。信じて騙される方が疑うよりマシだと思っている。もちろん、実際には、善くない行動をしている人には警戒してあたりはしますけれど、そういうのは、環境とかなんらかの事情でたまたまいま善くない行動を取ってしまっているだけである、と考えます。
「彼ら」は、どこにいるんだろう?
雑誌とかでライターが時折、「他のミュージシャンと違って彼女は」とか「彼はよくいる選手のようには」みたいなことを書いているけれど、いつも気になる。その、比べられてるひとたちは、どこにいて、誰なの?と思う。「彼ら」からすれば、「彼ら」が「僕ら」で――なんじゃないだろうか?
でもこの曲はすごくすごい曲で、ぼくはケチを付けようって気はぜんぜんない。椎名林檎が全く正しい。隔てられている「僕ら」と「彼ら」に引っかかる自分のほうが、なんらかの問題をうまく処理できてないんだろうと思う。
ときどきだけど、「ぼくの見ている"青"は他の人の見ている"青"と同じものだろうか?」という問いと同じように「ぼくの感じている"感動"は、ほんとうに他の人のそれと同じなんだろうか?」ということを考えてしまう。