すべての夢のたび。

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ベーシック・インカムは思想か

先日『ベーシック・インカム入門 (光文社新書)』という本を買いました。BIについて興味を持ったので何か適当な本はないかと思っていたところ、ちょうどTwitterでこの本が話題に出ていたのです。で、その日の会社帰りに買った。

そして読んだんですが、なんか期待する本とは違っていました。この本は、ベーシック・インカムの考え方についての本だったんですね。「そもそも労働とはなにか」「所有とはなにか」みたいなところから入っていって、BI的考え方の歴史を辿りつつ「それは必要であり、当然のものである」といった理念を説いていく、というふう。

で、ぼくが強く興味を持っていた財源の話については、こうです。P221より。

財源を問う議論は単なる"恫喝"
 ベーシック・インカムの話をするとしばしば出てくるのは「財源はどうする?」という質問である。奇妙なのは、お金がかかる話すべてに財源をどうするかという質問がされるわけではないことである。国会の会期が延長されても、あるいは国会を解散して総選挙をやっても、核武装をしようと思っても、銀行に公的資金を投入するのにも、年金記録を照合するのにも、すべてお金がかかる。だからといってこうしたケースでは「財源はどうする!」と詰め寄られるということはまずない。
 こうしたなかで特定の話題(生活保護などの福祉給付やベーシック・インカムなど)にのみ財源問題が持ち出されるあり方を見ていると、財源の議論を持ち出す動機は往々にして、財源をどう調達するかについて議論したいのではなく、単に相手を黙らせたいだけであると思わざるを得ない。
 普通選挙制を行うことにも、公教育制度をとることにも予算がいる。しかし財源問題をたてにこれらのことを行わないということにはならない。なぜならそれが必要だという合意があるからである。それが必要だという合意があれば、他の予算を削ったり、増税したり起債したりして、それに見合う財源を調達すれば良いだけの話である。


「はぁぁ!?」です。そしてこの後税制の話がちょっと出てくるだけで、結局この本では財源の話は触れられていないのです。

ぼくは、国会の会期延長とか総選挙は、そもそもある程度そういうことがある前提で予算が組まれてるんじゃないか、と思ってます(違うかもしれません)。"核武装をしようと思っても財源の話は問題にならない"って、どこのだれが核武装しようと思ってるんですか!(笑) 銀行への公的資金投入や年金記録照合の時は費用について実際そうとう問題視されていたと思うし……。生活保護に財源の話が出てくるのは、そもそもがお金を配る話だから、じゃあそのお金はどこから?って連想が繋がりやすいせいじゃないかなぁ。

ぼくがBIに財源を問いたくなるのは、例に挙げられている「お金のかかる話」とは比較にならない規模の予算が必要なはずだからです。国民1人1人に毎月何万円配るつもりなんですか? だから、そのお金はどっから出てくるの?と聞いているのに、それを「恫喝だ!」と言われ、「必要なら調達すれば良いだけ」で済まされちゃーなぁ。あーあ、って感じです。

たぶん、読んだ本がぼくと相性が悪かったのでしょうね。ぼくはこの本から、ベーシック・インカムは思想なんだ、という印象を強く受けました。1960年代の学生の人気を集めていたのと同じような、燃えられ、ハマれる、思想。皆で語り合って理想を目指してひとつになれるようなソレが、久しぶりに出てきたのかもしんないなー、なんて思いました。

そのうち小飼弾さんのBI本でも読んでみようかと思います。きっとあっちのほうが、著者的にも想定読者的にもぼくに近い気がする。まだ理解しようと諦めてないところがぼく偉いですよね。