すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

リア充のかけら

今年は年初からちょっと変です。女の人と待ち合わせして出かけたり、離婚の準備したり、ジムに通ったり、休みの日に知り合い(外国人!)からご飯食べに行こうってLINEが来たりする。少し前は年に1-2回しか人と合わなかった(会社除く)のにいったいどうしたのか。リア充の人みたい、って思ってます(リア充と離婚準備は関係ない気もするが)。

でもリア充たいへんだなって思いました。だって急にLINE来てご飯食べよーとかなるんだもん。それって部屋にいてもいつでも出かけられる準備してなきゃってことですよ? え、待って、30分後、とか言うと、後で会った時にねー何してたのなんですぐ出られないのねーねーねーねーってずっと聞かれるんですよ。

そんで部屋に来たがる。なぜなのか。リア充はいつでも他人の襲来を受け入れられるような部屋にしとかんといかんらしい。断るとまたえーなんで駄目なのーみたいなハナシになる。ふつう断らないらしい……。うちは同人誌や美少女フィギュアを見ても引かないような人しか呼べませんよ。

あとみんないい服着てんな! 服も買わないといけないんですか?

そんな状況が新鮮で楽しんではいるのですが、いつまで続くのかってのもあります。所詮は偽装です。ぼくはリア充ではない。いまのところまだ婚姻関係にある人と付き合う時にいっぺんオタク関係グッズ全処分したのですが、そういうのまたやるのかね? やらんといかんのかね? とぼんやり考えています。

しかしモノはモノにすぎない。本質ではありません。モノを全部捨てたからってオタクが治癒したりはしないのです。元から住む世界がちがう人たちだってのは判ってる。でもまぁもうしばらく遊ばせてもらうかー。

シオカライブ2016

目が潤むほど良かった「シオカライブ 2016」が最高潮の盛り上がり! - GAME Watch


ニコ動のタイムシフトで見たけど、良かったわ〜。期待以上のもの、望める最上に近いものがあった。

 今回はあくまで「Splatoon」ファンのためのイベントであるとは理解していたのだが、「シオカラーズ」が歌い、踊る姿は立派に「アイドル」として観客を盛り上げていた。


 その様子は単なるゲームキャラクターの枠を軽く飛び越えており、「Splatoon」が来場者たちそれぞれの心に大きく響いていることが良く伝わってきて、「『シオカラーズ』はゲームの中だけじゃなく、本当にアイドルになったんだ……」となんだか深く感動してしまった。



この会場の入りとんでもねえな。あとカメラワークがすごいいいんだよね、これぜったいアイドルのライブ撮ってる本職連れてきてる。そしてイカ研究員氏、そこは目からインクって書かないと(笑)。もー透明なインク駄々漏れでライブ動画見てましたよぼくは。ここまできたのか、っていう。

そりゃ、こういうの、初音ミクでもラブライブ!でもあったことですよ。バーチャルがリアルにって。でも自分が深く思い入れを持ってきた作品としてはほんと初めてのことだったんですよ。だからちょっとだけ感慨に耽らせて欲しい(笑)。スタッフの熱、演奏者の熱、観客の熱、それらを伝える記者の熱、みんなほんとうにスプラトゥーンが大好きなんだってことが分かる。

ニコ動のアンケート、5段階のやつでも、最上位の「とても良かった」が95%超えてましたよ。


神はいないこともない


合理的? 論理的のまちがいかな。それはともかくこれは簡単な>>1かも。

1: 名無しさん@おーぷん 2016/01/27(水)20:46:32 ID:pXM

神っていっても創造主の事な
生物、自然、地球のバランス完璧過ぎて否定するのが難しいぐらいなんだが


バランスがカンペキだから神はいる? そんなのは「宝くじ理論」で否定できる。

無限に金があれば、1等が当たるまで宝くじを買い続けることができる。どれだけ1等の確率が低くてもいつか必ず絶対に当たる。だって無限に金があって、当たるまで買うんだから。

宇宙がこの1回限りなのかなんて誰も知らない。延々永遠と「ハズレ宇宙」、最初から最後まで生命の生じないような宇宙を幾度となく繰り返してきて、今回がやっと「1等に当たった宇宙」なのかも知れない。でもぼくらにはそんな過去は見えない。この1回が最初の1回、うっわすげーバランス!って勘違いしても仕方がない。

……ってのが宝くじ理論ですが勝手に名付けました。


神はいない、ってのは言えないと思うんです。ほら、「ないこと」の証明は「悪魔の証明」って言われてるじゃないですか。そんなんできっこない。のに、「いない」って言い切るドーキンスをぼくは嫌いなんですけどね。嫌いだけど評価してますけど。気持ちは解るっていうか。

でも科学はほんとうはそこを踏み越えてはいけない。科学に絶対はない。反証たった1つでそれまでのすべてが否定されうる、ということをきちんと理解していれば、科学者は「絶対」ということばを使えない。合理的に、論理的に、神はいないって証拠を積み重ねてきて、それが確信にいたって「神はいない!」って宣言した瞬間に、ざ〜んねんでした、って神が現れる可能性は、申し訳ないがゼロにすることはできないのです。

でもこれは「だから神はいる」って言っているわけでは全然ないんですけど、そこらへん区別できない人はどうも多いよね……。

囲碁ももうだめだ


将棋プログラムがプロ棋士を脅かすようになったのは最近ですが、囲碁についてはそういうのはまだまだ先だろうと言われてました。そのはずなのに、いきなりGoogleのプログラムが囲碁のプロに勝ってしまいましたと。あれれー。しかも5戦5勝だってよ。プロ棋士は1回も勝てなかったんだってよ。

でもこのプロ棋士なる人は欧州チャンピオンとは言え、中国のプロとしては「2段」の実力とのこと。それってどれぐらいなんですか。まぁ例えられてもわかんないんですけど。


人工知能の進化する速度は予想を上回ってるんだよ、という人がいました。しかしぼくはほんとうにそうだろうか?と思ってます。

ボードゲームの人間対機械といえば、1997年にIBMのDeep Blue がチェスのチャンピオン カスパロフを破ったことが象徴的に語られてきました。しかし囲碁は可能な盤面の数が桁違いに大きく、局面の評価も難しく、従来の手法では計算量が膨大になりすぎることなどから、これまでプロに勝てるプログラムは存在していませんでした。


この一般的な評価、囲碁はチェスや将棋より難しいぜってやつ、これがほんとうにそうだったのか、実は疑わしいんじゃないかと。パッと見、囲碁って何やってるのかよくわからないから、プログラムが書きにくかったってだけじゃないのかなって。確かに盤面は広いけど、コマはチェスや将棋と違って1種類しかないんだよ。動きもしないし、取ったのを使えるわけでもない。ロジカルに次の手を探すより、もっと、ふわっと、いまこんな感じ!みたいなパターン認識が効いてくる感じじゃないですか囲碁って。

DeepMindによれば、AlphaGoの設計上の特徴は従来手法のモンテカルロ木検索に加えて、次に打つ手を決めるポリシーネットワークと、盤面を評価するバリューネットワークという2組のディープニューラルネットワークを用いたこと。


やっぱり「次の一手」も大事だけど「大局観」も大事なんですよ。いままでなかったアプローチで攻めたからうまくいった、みたいなハナシなんじゃないのかなぁ。

このあともっと強い人間、トップクラスの囲碁プロと戦うらしいので、その結果が楽しみです。

汚れない服


コーヒーだろうがケチャップだろうが蜂蜜だろうが、なにをぶっ掛けても弾いちゃうというジーンズ。抗菌作用もあるとか。それでいて効果は半永久的。ほんとにそんな服が出たら革命だと思うんですけどね。日本でジーンズ1本買うのと変わらないくらいの価格なので、騙されたと思って注文してみました。

Kickstarterなんですけど。ぼくがKickstarterでお金出したプロジェクトのうち、いくつかはちゃんと届き、いくつかは遅れて届き、いくつかはプロジェクトが行き詰まって返金され、いくつかはさっぱり音沙汰無しですね。音沙汰無し率けして低くない。相手が英語だと文句言うのもめんどくさいので放置状態です。

しかし、汚れないとしたらジーンズの色落ちも楽しめなそうですよねー、と思ったら、最初から色落ちしてるやつとか用意されるらしい。自分のジーンズ持ち込んでこの加工してもらえるんだったら面白いですけどね。それ以上色落ちしなくていいんじゃないか。

あとはまぁ、外国の衣料品は基本的にサイズがさっぱりわからないというアレだけが怖い。ほんとうに日本のインチと長さは同じなんだろうか。裾上げはできないから長めで頼んで捲って履くかー。

シオカラーズカラオケ


スプラトゥーンに登場するアイドルユニット、シオカラーズの歌のカラオケが現実世界に登場するとのことでした。サウンドトラックのCDに歌詞が載ってたから出てくるんじゃないかとは思ってたんですけどね。



「ののにぬ」ですよ。ののにぬじゃねーよとか思うんですけど(笑)。イカ語カラオケ。映像あるのもうれしい。シオカラ節はソロモードのラスボス戦の曲、ハイカラシンカはフェス期間中にハイカラシティで流れてる曲、キミ色に染めてはフェスのバトル曲ですね。

JOYSOUND行ってヒトカラしてくるかー、とか思ったんですけど、Wii Uのカラオケアプリでも歌えるらしいんでそっちでいいかって気もします。家でひとりで。いいじゃないですか別にJOYSOUND行ったってひとりなんだし。Wii Uカラオケは24時間歌い放題で300円らしい。すばらしい。


そしてこっちがもっと気になるんですけど。



シオカラーズライブかー。むっちゃ見たい……。どんなふうにやるんだろ。ミクみたいなやつかな。まぁきっとニコ動とかで見られるだろうからいいか。

闘会議、メッセとか行っても別にいいんですけどね、もうそういう情熱っぽいのは若い世代に任せとくかーって。後ろで、後ろ過ぎて自宅ですけど、後ろで腕組んでうんうんうなずきながら見てるのもいいかって思っちゃうんですよね。

神が全知全能なら


こういうのはお題に対する自分の答えを決めてから、出てくるかな〜ってレスを読んでいくんですよ。

……うん、とりあえず、今回は出てこなかったような気がする。

ぼくの答えは「神が全知全能であっても、別に人間を完璧なものとして作る義理なんてどこにもないよね」って感じですね。

全知全能なら一切無駄のない行動をするはずである、って前提がおかしいっていうか、どうしてそんなふうに思い込んじゃってるの?って感じです。たとえば超お金持ちで買えないものはないくらいだったとして、誰かに「何でこれ買わないの?」って言われても、「いや…別に欲しくないし……」って返すみたいな。買えるなら買うはずだ、って変じゃないですか?


これは神が存在するとしたら、の話であって、存在すると信じてる、ってわけではありません。でもややこしいことにはぼくはたぶん神が存在すると思ってるんでしょうね。毎年ちゃんと初詣に行ったりお守り買ったり、聖とされる土地建物や超自然的なものに一定の敬意を払って振る舞ったり、という自分の行動を振り返ると、なんかそういうのいる、ある、と感じてるからこそそうなってるんだろうなぁと思います。