すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

「きのう、神さまと話をしたよ」

ところで、あなたは以下のどのセリフを言いたいですか?
「きのう、ビル・ゲイツと話をしたよ」
「きのう、スティーブ・ジョブズと話をしたよ」
「きのう、アラン・ケイと話をしたよ」


正直アランのことはよくわからない。「ダイナブック」の概念を提唱したひと、というくらいの知識。ジョブズは、口がうまいから、ほんとは「宗教家」か「マルチ商法のトップ」が向いてるんじゃないかな? このまえも、みんながG4とかG5とか買って貢いだお金で、こっそりインテル版MacOS Xを作ってましたし。というわけで、このなかで話をしたいとしたらビルさん。みんなゲイツちゃんのことちょっとナメすぎなんじゃないかな? だからいつまでたっても追いつけないんだと思うぞ。

でもほんとは、ここらの界隈だったら、「きのう、ビル・アトキンソンと話をしたよ」がいちばんかなぁ。QuickDraw、MacPaint、そしてHyperCard。(なんでいまのMacにはついてないの?) まぁ、当時は美しい夢を見させていただきました。いまはなんと、写真家をやっているらしい! よくわかんない。もういちどだけ、なにか凄いものを見せてくれないだろうか。ってもしかして、この写真集が凄いのかな?

このテーマは好きなんで死ぬまでやります。

「死んだら終わり。だから怖い」って聞くと(おもに中島義道さんがそう言ってるのを聞くと)、「??」と思う。むかしは自分も死ぬのが怖かったはずなのに。ときどきいつの間にか、うっかり川を渡ってしまっていて、いったいどうやって渡ってきたんだっけ?とさっぱり思い出せないのだ。

いまのぼくは「死んだら終わり。だから怖くない」というひとである。死んだら終わりなんである。だから怖くないんである。当然だ。なんでそんなのが怖い人が多いんだろう。むー? まったくピンとこない。むかしの自分が不思議すぎる。

ここで考えられるのはふたつ。ひとつは「怖い」「怖くない」のどちらにもつながる以上、「死んだら終わり」は怖さとは関係ないってことだ。怖いってひとは、たとえば、「死」自体じゃなくて、それにつきまとういろいろ、痛みや苦しみや別れや後悔や「忘れられてしまうこと」が怖いんじゃないのか? でも、これらは生きてても起きるんだけどね。

もうひとつは「死んだら終わり」と「だから」の間に、ものすごーい量の言葉が省略されているのでは?ということ。「怖い陣営」も「怖くない陣営」も、怖かったり怖くなかったりをあんまり当たり前と思ってて、わざわざ語る必要もないと感じているんじゃないか? じゃ、ぼくは「なんで“だから怖くない”なのか」語ってみる必要があるのかなぁ。

でも「死んだら終わり」は「だから、自分が生きてる間にいい思いができればいい」につながりやすいのはたしか。死んだら終わりであることを否定しないまま、それでも他人のことを思いつつ振る舞わなくてはいけない、ということは言えるんだろうか? とくに、「国会にいるおじいさんたち」にもたやすく理解できるような言葉で、それを言えるんだろうか? なんてことを、さいきん時々考えてます。

大量の個人情報流出でブロガーをうんざりさせるソリューション

タイトルで終わっちゃいました。

や、なんかもう。個人情報とかだだ漏れしすぎと思って。いっそYahoo!BBとかに頼んで、うそっこのデータを10億人分くらい漏らしまくれば、薄まっちゃってほんものデータがどれかわかんなくなると。

あと、ダミークレジットカード番号も、軽く10兆件ぐらい流出させて、ブラウザに入力した瞬間に衛星軌道上からレーザーで狙撃するのがいいと思います。