すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

「死んだら終わり」と考えない人たち

件の質問の前に、「あの世や生まれ変わりを信じず、死んだらそれまでと思っている人間に対し、自分本位でなく利他的な動機で行動するよう仕向けるうまい方法はないか?」ということを考えていました。こういうのを、こなれた柔らかい文章にうまく落とし込んで「質問」化するプロセスが楽しいんですけどね。それはおいといて。そのまえに「じゃ、死んだら終わりってことをはっきりさせないといけないな」と考え、例の質問を投げたのです。

が、多くの人はそもそも「死んだら終わり」と考えていないことがわかり、もともとの「利他的動機付けの手法」質問は、する意味がなくなりました。だーめだこりゃー、と思った。宗教を信じているほうが全然マシです。それなら「死後、裁きにあう」とか「カルマ」とか、考え方のベースが利他にあるから。そうじゃなく、「誰かが死んでも世界は続いている」という事実の積み上げで「自分が死んでも世界は続く」という考えに至るのは、のんきだなぁ、と思う。そりゃただの帰納的推論で、自分が唯一の例外(自分が死んだら世界が終わってしまう)かもしれないじゃないですか。「死んだら終わり」と言いつつ、平気で「死んでから生き返った人はいないから死後のことはわからない」などと言う矛盾。自分が死んでも世界は続くと知ってるなんて、あんたは死んで生き返ったのか?

困ったなぁ、と思うのは、こういう人たちが信じる「自分のいない世界」は、なんとなくぼんやりした希望に包まれているように感じられる、ということです。「みなは幸せに暮らしましたとさ」みたいな、あんな雰囲気。自分が生きていた時間の延長線上に未来はある、のような。そうじゃないんじゃないかなぁ、いまはすでに多くの面が下り坂だと思うぞ? それを「良い」方向(現状通りは「良い」に含む)に信じたがるのは、ある意味責任逃れだし、宗教や「死んだら(真に)終わり」よりずっとたちが悪い。

そんなわけで、「みんな眠ってる」と思いました。「自分の死」を直視したがらないことと、薄明るい未来への無根拠な楽観的展望。これをひっくり返すのは、容易ではなさそうです。