すべての夢のたび。

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脳と意識と“水”

中田力さんの『いち・たす・いち (脳の方程式)』を読み終わったんだけど、またしてやられた。この本にも「脳」と「意識」の関連の話は、最後のほうにちょーっと出てくるだけだった。『脳のなかの水分子―意識が創られるとき』と同じじゃんか〜〜。結局『脳の方程式 ぷらす・あるふぁ』も読まなきゃいけないらしい(てーか、「これじゃわからん!」って要望があって書かれたんだろうな)。一緒に買ってくれば良かった。

紀伊國屋書店の広報誌「scripta」に載ってる中田さんの文章より引用。

 意識があることが、脳が心を作り上げる出発点である。そして、意識を操作できる唯一のものが、全身麻酔なのである。ところが、意識をとる程度の軽い全身麻酔では、大脳皮質ニューロンの電気生理学的活動には大きな変化が見られない。全身麻酔薬は、神経伝達をブロックすることによって痛みを取る局所麻酔薬とか、特異的な受容体に結びつくことによって効果を出す精神神経薬とは全くちがった形で効果を発揮するのである。

 では、どうやって、意識をとるのか?

 それがわかれば、脳がどのようにして心を作り上げるかへの道筋が見えてくる。


ぼくは全身麻酔の経験があるけれど、あれは睡眠とは根本的に違うものだ。眠りに入ったり、眠りから覚めるときのような、あいまいでうつろな状態。これは全身麻酔には存在しない。麻酔が効いてくると、ある瞬間に、コトリ、と意識がなくなり、次の瞬間には目が覚めて手術が終わっている。「よく寝た」という感じ、時間の経過があったという感じは全くうけない。夢を見ることもない。眠っている間すら意識は存在するのだが(音や光に反応したり、記憶には残らなくても夢を見たりする)、全身麻酔はほんとうに意識が“消失”するのだ。脳死患者と異なるのは、やがて麻酔が切れると意識が戻って再び動き出すというただ一点だけであり、麻酔医ですら表面上は「脳死」と「全身麻酔」の見分けは付かないものだという。

自分は、あの、コトリ、という感じを知っているから、死が怖くないのだろうなと思う。あれこそは「死」そのものだからだ。ぼくはあのときに1度死を体験しているのだ(正確には2度だ。全身麻酔は2回やったので)。コトリ、がやってきてもう目が覚めなかったら、目が覚めなかったことに気づくことすらできない。そしてこれが、いつか誰にも訪れるものの正体なのだ。

 ポーリングによれば、全身麻酔効果のある薬剤すべてが水のクラスター形成を安定化し、小さな結晶のようなものを作り出すという。つまり、水分子と水分子とがお互いにくっつき易い状態を作ることが、全身麻酔効果の分子機序だというのである。

 脳の水分子の活動が意識をつくり、その活動を変えることで、全身麻酔がかかる。


や、水のクラスター。水の結晶。水分子と意識の関係。これがノーベル賞を取るか取らないかと言われているらしい日本人の言うことなんだから、なんだか楽しみではありますな。