すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

やっていき

「限りある人生をどうやっていきますか」ってテーマに対して、若い人とそうでない人の答えは違うんだろうな、って思った。

若い人はたぶん、皆とうまく協力してやっていき、って思う気がする。でも、そうでない人はたぶん、それなりにうまくいってる現状を守ろうとする。よくわからん界隈は切り捨ててやっていき、ってほうを選択する気がします。

これはただそれだけの話です。住まう世界・環境が同じでも、そこにあと何年いるのかな、って考えたら、たぶん逃げ切れる……って考えたら、楽なほうを選ぶんじゃないかって。理想と現実みたいな?

ぼくも後者、まー自分がうまくやっていきゃ(よくわからない人たちは放置しても)それでいいかな?の人なんですけど、……あれ、何を考えていたのか忘れてしまいました。

でもみんながなかよくやっていきができればそっちのほうがいいとは思うんです。それは念頭に置きつつ、でも自分が優先だよねー、って暮らしを続けていくのだと思います。

説得力のある神の存在証明をする


それはすごい面白そうですね、と思って読んだらつまらなかったです。数学? 算数では?


「神はいる/いない」と「人はいる/いない」を組み合わせると4ケースができます。このうち、「神はいない・人はいない」と「神はいる・人はいない」は無視していい。だって現に人はいるから、と話は進みます。

で、「神はいない・人はいる」と「神はいる・人はいる」を比べると、おそらく後者のほうが人は存在しやすい。だって神はなんでもできるから人を存在させるのも神がいないときより簡単だろうって。

さらに、一神教より多神教のほうが人は存在しやすいだろうって。だって後者は神がいっぱいいるわけだから。

さらにさらに、この世がシミュレーションの中である方が人は存在しやすいだろうって。なんでかって、シミュレーションは「シミュレーションの中のシミュレーションの中の……」ってずっと繰り返せるから、数がすごい(無限に?)多いってことになる。つまり確率的に人が存在しやすい。

合理的に考えるとこの世はシミュレーションであるという。さてどこが間違ってる、どこにウソがあるんでしょうね。


シンプルに考えると、まぁぼくも、神は定義上万能ということなので、なにもない塵芥から偶然人間が生まれるより、神様がホイと宇宙を作るほうが楽だろうなぁとは思います。しかし、「できる」と「やる」は別の話だろうなぁ、という気はするのです。それが可能であっても、無益だったら、特に意味がなかったら、有害だったら、それをやる理由は特にないだろうなぁ、と思いませんか? 毒を飲むことはできるけど毒を飲むだろうか?

ということは逆算すると、わざわざそれをやったのだから神様は人間が好きということかー。有り難い話ですね。ここから宗教を始められますかね?

お題


なんとなく思ったのですがぼくにとってGIGAZINEさんはお題サイトなのだと。それについてなんか思ったことを書く、ってやつだという。


さて腫瘍ですが。写真を引用するのはたぶんGIGAZINEさんもリンク先の写真適当に持ってきてるだけな気がするし、ぼくもGIGAZINEさんとこの写真を適当に持ってきてなんか貼っても著作権的には問題ない気がするけどもし面倒なことになったら面倒なので、リンク先の写真を見てください。


【ここに手術前後の写真があると思ってください】


うわ。見事にすっきり、というか、「お腹の肉がなくなってる」という感じですね。でっぷり→えぐれ、になってる。お腹はへっこんでしまってる。肋骨が出てるのが、肉がなくなったのを強調してる。


【ここに手術したお医者さんが切除した巨大な腫瘍をうれしそうに両手で抱えてる写真があると思ってください】


いいんだけど。そういう写真があるのはいいんだけど。いや、いいのかなぁ。個人情報じゃないけど、それ勝手に見せてもいいのかな? まぁ患者の人に断ってるならいいのかも知れないですけど、それでも、多分事後承諾ですよね。手術前に「切り取ったでかい腫瘍を抱えて写真撮ってもいい?」って患者に承諾取ってるとは、まぁ思えないよな。でもそれぐらいはお医者様の権利なのかも知れないし、ぼくもこういう写真見れてうわー得したって感情なので、まぁいいのかも知れないです。

ぼくも人から切り取った肉を見たことがあります。むかし骨折して、大きな病院行って、ギプスをするんだか取るんだか(記憶があいまい)のために処置室みたいなのに入ったんですよね。したら凹みたいな形の銀の器(わかって)に、なんか赤い色の数センチの肉片が入ってるの見た。誰かの肉。うわーそんなのそういうとこに置いておかないでー!って思いました。おそらく今はそういうのない気がします。きっと当時はたぶんゆるかった。

ぼくも腫瘍切除で入院したことがあり、手術後に「これ切り取ったやつー」って一瞬瓶詰めのを見せてもらったのですが、ほんと全身麻酔からやっと覚めた術後直後で、ぼくの親がそれ標本にするってのに勝手に同意してしまい、持っていかれちゃいました。同意しないこともできたっぽいので、もしかしたら自分から切り取った瓶詰め肉をずっと手元に置いておくこともできたのかも知れないですが。

つうか。写真の巨大肉。焼いたら食べられそうな気もするのですが、腫瘍は食べちゃだめなんですかね。人工培養した肉と同じようなもんではないのだろうか。

……というお題でした。自分に近しいネタがあると書けますね。

なぜ何かに反対する人は何でも反対するのか


遺伝子組み換え作物の研究者が研究を止めた理由。簡単に言うと「反対がひどかったから」だそうです。

Mehtaさんは、「ウイルスに抵抗のある植物を作ろうとしてGMO研究を行うことは、人々から押し寄せるネガティブな反応に対処することを意味します」と語っています。このネガティブな反応は、日常的な会話に含まれるものからTwitterトロールまでさまざまですが、場合によっては抗議活動を行う人によって研究がつぶされることも考えられるとのこと。

Mehtaさんが強烈な反GMO活動に初めて遭遇したのは、同僚が行ったGMOや特許植物のパネルディスカッションでのこと。抗議者たちは「アメリカの子どもたちの自閉症の責任はGMOにある」と叫んでパネルを妨害し、パネリストたちが「自閉症とGMOの間には因果関係がなく、GMOは人間が食べても安全だと何度も確認されている」と説明しても、陰謀説を強く信じて聞く耳を持たなかったそうです。この出来事について、Mehtaさんは「研究者が科学的なコミュニケーションを試みることがいかに無益かということを表していた」と記しています。


ぼくにとっては遺伝子組み換え作物はよくわからないカテゴリのものです。なんでよくわからないかっていうとぼくがそれについて勉強してないからで、わからないから評価できない。でも同じように勉強しないで「わからない」→「危険かもしれない」→「反対!」になっちゃう人たちがいるようなんですよね。

それで見てる限り、何かに反対してる人はだいたい他の何かにも反対してるんですよね。簡単に言うと遺伝子組み換え作物に反対してる人はTPPにも反対してるし反原発だし安保法案にも反対してるっていうか。見てるといっつも同じ人やんけ、という。是々非々じゃないんですよね。非々々々なの。

いや彼女ら彼らがぼくの反対側にいて、彼ら彼女らの側から見れば何かに全部賛成してるだけだ、ってこともあるのかな、と一瞬思いましたけど、でもぼくはウナギの稚魚の捕り過ぎには反対するしなぁ。これは彼女ら彼らも反対するでしょ。遺伝子組み換えもTPPも原発も安保法案も反対だけどウナギは美味しいから食う、って人いるのかな。年寄りならいるかも知れないか……。


まぁぼくは非々々々ではなく、賛成のものもあるし、それよりはよくわからないので保留のものが多いです。どうしても態度を決めろと迫られたら、好みでどっちかに投票するかもしれないですが。でも経験則だと、あっち側の人が反対反対!って頑張ってたものは、たいてい成立すると別に大したことないもの、ていうのがずっと続いてるので、遺伝子組み換え作物もそうなのかもしれません。

この研究者の人も、遺伝子組み換えでウイルスに強く栄養豊富な植物を作って世界を飢餓から救おう、という目標を持ってやってたらしいんですけどね。「そういう研究が大企業に利用されて云々」みたいなストーリーをすぐ作ってしまう人には確かに話は通じなさそうです。

指笛


鳴らぬ(がっかり)。

このツイート見てから試してみたら鳴った!って人がいっぱいいるみたいです。ぼくがやってもフーフー、ヒューヒュー、シューシューと空気が漏れるだけですね。ピーピー鳴ったりはしない。

口笛は吹けますが。でも口笛を吹くときの口、空気の通り道の細さを考えるとさ、指笛って指を噛んでるわけじゃないですか。圧倒的に通り道が太い。鳴るのかよ、って思いますけど、だから舌を使ってなんとか口をうまいぐあいに細くしてやるのが重要なんだろうな。

しかし、フーフー、ヒューヒュー、シューシュー、やるじゃないですか。手がよだれまみれになって臭くなってくるんです。つらい。アルコールのウエットティッシュ必須。



そんな簡単じゃなかった(笑)。1日10分一週間か。よだれと戦う価値はあるのか。


追記:その後ちょっと鳴りました。やっぱ口細くしないとダメだ。指を噛んだままがんばって口笛吹くイメージっぽいです。よだれまみれですが。

世の中どこまで本当か


面白そうと思って読んだけどよくわからなかった。

「科学的発見の再現性が時間と共に低下していく」ってすごくないですか。新発見!ってやって世界がおおお!と思っても、時間が経つとだんだん「え、これおかしくね?」ってふうになっていくらしいです。実験は再現できず、薬の効果は薄れ、あったはずの相関性は見えなくなってしまうと。

それでそれがなんで起こるのか、というと、やっぱり思い込み、バイアスをどうしても排除できないから、ということになってるようです。すごい発見だ!ってどれだけ科学的なつもりでやってても、自分が見たいものを見たいという欲望からは逃れられないわけですね。

え、でも、薬が効かなくなる、ってのはそれはおかしくない? そこは完全に物理じゃない? 思い込みで「うんうん効いてる」って観測してしまってるってことなんだろうか。

でもそんだけなんだろうか。それだけだとあまり面白みがない……。もっとこう、ルールが明らかになることで効果が薄れてしまうみたいなメカニズムが世界に組み込まれているとか、そういうのはないんですかね。ないか。

つまり、著名な学術誌に発表される研究結果は圧倒的に「新たな発見」や「実験が成功した」というものが多く、否定的な研究結果は掲載されにくいという事情があるのです。


「あれうそ」みたいな話はウケないそうです。だから出てこない。新発見があって、時間経って、いやーやっぱりあれそんなでもないみたい……ってことになっても、そういう話は流布されない。なので時々、突然ひっくり返るようなことを聞かされるのかもしれないですね。ほんとはじわじわ「あれうそ……」みたいになってってるんだろうけど世間は知らないという。

もうすぐ形あるものは手にできなくなる


このニュースは驚きましたね。ダウンロードで曲を売るのはもうCDとレコードを足したのより売上が低い。本命はストリーミングだ、ってことになってるらしいです。

ええー、って。世の中変化速すぎてついていけねえ。

ストリーミングかー。月額課金かー。ぼくは月額課金って「知らん間に毎月少しずつむしられてて気づいたらすごい額」ってイメージがあって嫌なんですよねー。その月額課金に「解約が面倒」ってのをセットで組み合わせたら最高だ。いまそういうのいくつかあります。某保険とか、某ネットサービスとか。解約手続きめんどそう、ってのでずっとほったらかしなやつ……。

iTunesも、何年かのうちにダウンロード販売はやめてストリーミングだけになる、って、Apple社の偉い人が言ったそうです。ふーむ。Appleから買った曲以外のやつ。CDを取り込んだやつとかネットから落として登録したやつはどういう扱いになるんだろうなぁ。気になるところです。

でもまぁ、対面で音楽を売る、ってのはなくならないとは思いますけどね。即売会でも、CDを売らずにQRコードでやるとか、形が変わっても人と人で手渡しっぽいのは残ると思う。あと、音楽を売る形式で1番なのはライブなので、これはひっくり返しようがないと思う。