すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

じゃんけんのルール知らん人


これは大ウケしましたね。さすがにな。

ある人の父親はこれまでずっとじゃんけんのルールを知らなかった。雰囲気で乗り切ってきた。ずっとグーだけを出し続けてきた。相手が勝った!と喜んだら負けた!と言ってきた。相手が負けた!と言ったらその逆だったんでしょう。それで70年やってきたと。

すごい。そんなことがあり得るのか。あり得るんだった。まさか、ふつうの人は、じゃんけんする相手がじゃんけんのルールを知らないとは思わないですからね。

ぼくもじゃんけんのルールを覚えたのはいつだったかわかりません。まぁ幼稚園から小学校1年ぐらいの時かなぁと想像できます。もしかしたらその時にも覚えられなくて、小学校2年、3年くらいでやっと覚える人もわずかにいるのかも知れない。しかしそこすら通り過ぎると、まさか、ルールを知らない人が世の中に生息しているなんて想像もつかない。だからだれも問わない。

おそらくそういった偶然が積み重なって70年経ってしまったんでしょうか。まぁ大人になるとそうじゃんけんする機会もないですしね。この人いつもグーばかり出すな……と思ってても、ルール知ってます?とあえて問うたりしないでしょう。

このお父さんは、これからもじゃんけんのルールを覚える必要はなくて、ただグー以外にあと2つあるので適当に出せばよい、ということだけやってけばいいんじゃないかと思います。勝ち負けはこれまでと同じように他の人が判定してくれる。いつもグーだこの人……ってみな感じ取っていたとしたら、今後はわずかばかり勝率が上がるかもしれないじゃないですか。

でもなぁ。これ笑ってるけど、あんまり笑えん気もしますよ。ぼくもよくルール知らなくて雰囲気で乗り切ってる世の中のあれやこれは実はいっぱいある気がします……。

なぜ宇宙人はいないのか


この手のやつにしては久々に納得のエントリでした。

ドレイクの方程式っていう有名なやつがあります。

ドレイクの方程式は、宇宙に地球外生命体が分布している数をはじき出す計算式で、「人類のいる銀河系で1年に誕生する恒星の数」×「恒星が惑星系をもつ確率」×「恒星系がもつ、生命が存在し得る状態の惑星の平均数」×「生命が存在する状態下で、実際に生命が発生する確率」×「発生した生命が知的なレベルに進化する確率」×「知的な生命体が星間通信を行う確率」×「技術文明の存続期間」で表されます。


なぜ宇宙人はいないのかというと、ぼくらの科学はまだ未発達で、ドレイクの方程式のどのパラメータについても全然たしかな数字がわかっておらず、ゆるめに取ると「宇宙人は絶対いる」し、キツめに取ると「宇宙人なんているわけない」になってしまうので、「宇宙人はいない」という人はキツめのパラメータで計算したんだろうという、まったく身も蓋もない話でした(笑)。

まぁ、言ってしまえばドレイクの方程式そのものが無根拠なんでけどね。これ途中に「隕石が降ってくる確率」とか「いきなり太陽が爆発する確率」みたいなのをいくらでも差し込めるわけで。パラメータが恣意的すぎるんだよね。「他の知的生命体からサポートを受ける確率」とかどうてすか?

個人的には、宇宙人はいると思ってます。「地球が宇宙で唯一の知的生命体が住む星」というのは「私が世界で一番頭がいい」というのと同じレベルの驕った発言じゃないかなぁと。なんの根拠もない。ただ宇宙は広すぎるので、それぞれが他の知的生命体とまったく没交渉のまま栄えては滅ぶ、ということもあり得るんじゃないでしょうか。

光速は超えられるのとか、超えられないにしてもコールドスリープ的なものはあるのとか、仮に会えても対話可能なの意思疎通できるのとか、そもそも人にそれが知だと認識可能な姿で現れるのか?とか、考えるといろいろ面白いんですが。

人は死ぬ


ぼくもその昔ははてなでいろいろ頑張って書いてたりしたんですけど、最近はもうぜんぜん村の名士とは没交渉でして。もちろんHagex氏もよく名前をお見かけする方という程度の認識で直接絡んだことなどはない。せまい村だし、知り合いの知り合いの知り合いくらいの距離の人なんじゃないかとは思います。

でもそんなの他人です。ふつうに冥福を祈るとともに一般的なことを書くだけです。ただ触れないわけにもいかんだろという気持ち程度で。

ぼくもネット活動はもう長いんですけど、ツイッターとか見ててもこの人すげえなと思う人はいて、それは、他人に対してマイナスなことをぜんぜん言わない人です。何人かいる。聖人かな?と思います。ほんとに聖人なんじゃねえのって人もいるんですけど、そうでないニオイを感じる人もいます。それは、意識的にリスクコントロールをしてるんだろうな、という。

なんでも他人を悪し様に言うのは恨みを買うわけです。ぼくもよく何かを腐すことを書くので、時々ブログのコメントでばーかばーかみたいのをもらったり、ツイッターで過去のツイートを漁られて通報されて凍結されたりするのです。あと政治がらみの発言はぜったいに誰かに反感を持たれます。客商売の人とかはそのへんもうまく避けてんなーって思います。

でも刺される程のこと言ってる人はほんの一部でしょう。ほんの一部だけど、いることはいる。今回のがそういったケースだったのかどうかは知りません。他人なので関心なく、そこまで労力を払って検証しようとは思わないのですみません。

世の中は、いくつかのマイナス要因がよくないタイミングで積み重なったりすると、予期せぬ日に後ろから刺されて死んだりすることもある、ということなんでしょう。意識の途切れる前に、因果に思いを馳せる時間はあったんだろうか。まぁそんなのあってもなくても刺されたら死にますけどね。

「人は死ぬよねー」っていうのが最近のぼくの、誰かの訃報に接した時の感想です。人は死ぬし、その中に自分も、自分の知ってる人好きな人も含まれています。時々よりは多い頻度でそのことを思い出したほうがいいんじゃないか。

ゴリラの冥福を祈る


人が亡くなったニュースはよく流れる。でもぼくあまり思い入れがある人がいないので、このローランドゴリラの訃報のほうに感情が揺さぶられました。まぁ、まぁ、生き物はいつか死ぬ。

このゴリラ、ココは手話ができる類人猿として知られてました。なんと千個もの語彙を使いこなすという。それってふつうに人間の、人間の下のほうの人より上なんじゃないでしょうか……。

有名なやつ。ゴリラは死ぬとどこへ行くの?って手話で聞かれたとき、ココはこう返答したという。「苦労のない 穴に さようなら」……。これは深いですよね。ゴリラにとっても生は苦なのかなぁ。いや、野生じゃなくてこうして閉じ込められてるから苦なのかなぁとか、さようならとか。

ココについてのエピソードはいろいろあるので、関連リンクを辿ってください。子猫との出会いのやつとか、ロビン・ウィリアムスさんとの交流とか、いちいち泣けるんですけど。でも別になんでもこう泣ける方向でやらなくてもいいんじゃないかっては思いますね。ほんわかぱっぱなエピソードもきっといろいろあるはずです。

晴れても雨でも部屋で酒飲む

タイトルは自由律俳句と思っていただいていいです。ちょっと山頭火ぽくないですか???

昨年の健康診断ですでに肝臓の数値がなんか……イエローとレッドの境目のところにあり、お酒はちょっと考えたほうがいいですねー、と言われてたんですが。まぁその後1年ふつうかふつう以上に飲んでましたよね。

肝臓が駄目になるとなんか自覚症状があるんでしょうか。いまのところ特に変わりないのですが。

でもさすがにね、今年の健康診断で数値がレッドになってたら、もう酒止めよかな、というふうに考えてます。止められるの?ってことについては、多分止められるのでは、という楽観的な見通しがあります。まーダイエットがうまくいったじゃん。これぼく「食べない」っていうある意味究極のやつを心に決めて、概ね実行できたって経験があるからなんですよね。「食べない」が可能なら「飲まない」も可能なのは当然では?と思ってます。

しかしぼくの「人とのつながり」って今4つしかなくて、それ「親類」「会社」「SNS」「飲み屋」なんですよね。飲むの止めるって最後のやつをばっさり切るってことです。ここ結構人数多いしかつ濃いんだけどな(笑)。

まぁずっとウーロン茶飲みながらつながりを維持していくことも可能とは思うんですけど、それよりその時間を別のこと、本を読むとか映画を見るとか、に使ったほうが有効かなって思います。

あと、酒止めたら炭酸水かな?みたいのも考えてます。禁煙する人がアメ舐めるみたいなはなし。ぼくは強い酒が喉を灼く感じが好きで飲んでた部分もあるので、それってだいたい炭酸水で代替できる気もする。コーラとか。

実はOculus Go買ってました


だいぶ前の話ですね。そしていつものように、2回ほど使ってそれっきりです。

なぜか? なぜですかね? 確かにOculus Goは価格と手軽さでは革命的な製品であるとは思います。これで初めてVRの世界に触れる人は感動があると思う。でもぼくはその前にVR ZONEとか行って価格的に2桁違うVRを体験してしまってたからな……。

Oculus Goで仮想空間内で大きなスクリーンで動画見るアプリが人気なんですけど、それもまたなぁ。それVRじゃなくていいじゃん。ぼくの部屋とか目の前1mのところに43インチモニタあるので、これだと多分Oculus Goで動画見るより視野に占める割合がでかい。その上はるかに精細で鮮明。

でかいモニタでゲームすると得る感動も(なぜか)大きい、ということに早い時期に気づいたので、ブラウン管の時代からPCモニタは大きいものを選んで買ってました。(とかいいつつ今一番遊んでるのはスマホでFateなのですが?)

でもまぁ、Oculus Goは時間を無限に潰せるデバイスであることはたしかです。360度動画とか山盛りあるもんなぁ。ぼやけた画像とはいえ、どっち向いても世界が広がってるのは自分がそこにいるかのようでほんとに楽しいです。

自分でも360度動画を撮りたいな、と思うんですけど、いまのところカメラ買う気はないですね。理由は自分自身が動画に入り込んでしまうからです。ぼくはいらないので。撮影者が映り込む問題をクリアできてる動画もあるようですけどどうやってやってんですかね。

超スローモーション動画



また謎の技術が来ましたね。ふつうに撮影した動画のコマの間を補完してなめら〜かスローモーション動画にする。わかる。ていうかあれだ、液晶TVでやってるやつじゃん。

しかし動画見てみると驚きますがあまりにも自然です。秒間30フレームを240フレーム、8倍にしても破綻がない。単純にフレームとフレームの中間を作るのではなく、もっと数多くのフレームを参照してるらしい。わかる。点が2つだとそこ繋ぐのは直線ですけど点が多いと曲線でつなぐよな。たぶんそういうやつだ。しかしそれを動画でやっちまうようになったんですねぇ。

そして面白いのが、海外のYouTuberでスローモーガイズってのがいて、いろんなことをスローモーションで撮影してupしてる人たちがなんですけど、その人たちの動画をさらになめらかスローモーションにしちゃってるという。スローモーガイズの立場なくなっちゃう(笑)。

iPhoneとかにもスローモーション撮影機能ありますけど、あれ結構面白いんですよね。今回のやつは後付けでそれをできるってのがかなりいいと思います。

それにしてもなんか技術の進歩の速度上がってません? まだギリギリ何やってるのか想像したり既存の知識に置き換えて理解したりできるけど、これ以上になったら付いていけなくなりそうな。