すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

イギリス人はもっと日本のマンガでも読んで勉強すべきだろう

2050年、テクノロジーの発達により、人間の脳の持つ全情報をコンピューターにダウンロードすることが可能になり、肉体は滅びても人間の意識は永遠に残る―。英国の著名な未来学者で通信大手BTの未来研究部門代表を務めるイアン・ピアソン氏がこんな大胆な予測を明らかにした。


ふーむ。学者さまでも勘違いしてらっしゃる人は多いのだなぁ。ていうか!「未来学者」ってなに!

とりあえず、まずはわたしの書いたコレを読めと(日本語だけど)。これは別に特別な考え方じゃない。脳の中身を保存したからって、それが<わたし>になったりはしないんだって。だいたいそれじゃ、保存した「脳の中身」を複数のコンピュータで同時起動したらどうなるんだ(笑)。「はい、コンピュータへのダウンロードは無事終わりました。じゃ、もとの肉体のほうは廃棄しておきますね〜」 おいおい、いいのかそれで。

同氏は感情を持ったコンピューターの応用例として、航空機制御プログラムへの導入を提唱。「墜落を前にしたコンピューター制御プログラムは恐怖を覚え、何としてでも墜落を回避しようと全力を挙げるだろう」と語った。


来る日も来る日も排気ガスをまき散らしながら飛ぶだけの生活に絶望して、海や山に突っ込んだりしないよう注意ですよ。

靖国さん

もっとも根本的な問題として。靖国を是!とか非!とかいう人たちは、そもそも霊とか死後の世界の存在とか信じてるのか? 信じてないならいったい何について語ってるんだ? うちの父親は「霊なんかいるわけないだろ!」と言ってたので、じゃあなんで墓参りなんて行くの?と聞いたら「行くに決まってるだろ!」と言った。これが普通の日本人の態度?

Boot me up finally.

えー、今日の書きモノは長くて面倒ですが、本人的には、このblogでこの手の内容がいちばん書きたい記事なのです。2-3人くらいは最後まで読んでくれることを期待します。で、この記事は前に書いたコレコレの続きですが、それらを読まなくてもわかるように書きます。(これ読んで理解が曖昧なら、さかのぼってもらえれば多少理解しやすいかも)


心(脳の中身)は、「記憶と視点」に分解して表せるという仮定にもとづいて説明します。「視点」という概念はちょっととらえにくいかなと思うんですが、「あなたの人生が一人称の小説だったら、誰の目から書かれるか?」です。ものすごくあたりまえですが、「あなたの目」からそれは書かれますよね? では、はじめます。

まず、この記法を使うので覚えてください。「 A(A,A) 」、これは「 肉体(記憶,視点) 」を表し、「人物Aの肉体のなかにAの心(記憶と視点)がある」ということを意味している、と考えてください。さて、今回の「激突して中身入れ替わり」話では、人物M(みちアキ)と、人物Y(You、つまりあなた)が登場します。


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某月某日の朝、会社員であるみちアキとあなたは駅までの道を走っています。そして曲がり角で、よくある話のように激突! 中身が入れ替わってしまいます。みちアキの心はあなたの体に、あなたの心はみちアキの体に入ってしまいます。つまりあなたは「 Y(Y,Y) → M(Y,Y) 」になってしまうわけです。2人はお互いの心が入れ替わってしまったことに気づきますが、日本人なので、とりあえずいったん会社に行こうということになりました。

あなたはみちアキの体のまま、自分の会社へ向かいます。が、なにぶん慣れない体なので、乗換駅で階段を踏み外し、転んで頭を打ってしまいます。その衝撃で記憶喪失に! 「 M(Y,Y) → M(?,Y) 」になってしまいました。そして病院へ運ばれていきます。

病院の医師はあなたを診察し、「みちアキが記憶喪失になっているのだな」と診断します。そうですよね。中身が「記憶喪失のあなた」であるなんて、医師にわかるはずもありません。そしてここは未来社会なので、みちアキの家から昨晩時点の記憶バックアップを取り寄せ、「“記憶喪失のあなた”が中身である、みちアキの体」に書き込みます。「M(?,Y) → M(M,Y) 」です。あなたは、みちアキの記憶を持ち、みちアキの体の中から、世界を見ることになります。

目を覚ましたあなたは、昨晩眠ってから今までの記憶がないのですが、通勤途中で転んで記憶をなくしたことを医師から聞きます。そして、やっぱり日本人なので、まずは出社しようということにします。みちアキの会社へ、です。会社でみちアキとあなたは出会います。みちアキ「 Y(M,M) 」と、あなた「 M(M,Y) 」が出会うのです。

事情を察したみちアキは、こうなった経緯をあなたに話します。そして言います。「君はMじゃない。君はYだ。まずは病院で、Yの記憶を書き込み直してもらうべきだ」。あなたは考えます。わたしは、昨日と全くかわらず見覚えのある懐かしいこの体を持ち、昨日まで普通にこの会社にきてこの机で仕事をしていたことも覚えているし、「みちアキの両親」に愛されて育ったことや、「みちアキの友人」と旅行したときのこと、好きな音楽や感動した本や映画も、すべて手に取れるほどリアルなものとして思い起こすことができる。なのに、これが間違った記憶だというのか? YだったのだからYに戻れと言われて、戻れるのか?

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……どうでしょうか。なんだか、このアイデアで、ライトノベルの1本も書けるんじゃないかという気がしてきました。権利は放棄するのでだれか書いてください(笑)。


未来学者イアン・ピアソン氏の「脳の中身をPC保存」の記事を読んでの懸念は、上の話に出てくる「視点」という概念がすっかり欠けているのではないか、ということです。「視点」をコンピュータに移すことができるのか? あなたの「脳の中身」をコンピュータに保存したときに、あなたはコンピュータの中から世界を見るようになれるのか? 視点が移動しないなら、コンピュータにあるのはただの「記憶のクローン」です。あなた本人とは別のものです。

ほんとうに大事なのはここなのです。あなたの脳の中身をコンピュータへ「ダウンロード」したとき、元の肉体のあなたの意識が途切れるのでしょうか。途切れないなら、コンピュータ側で動いている「それ」は、いったい誰の「視点」なのでしょうか。また、もし仮に、脳の中身をコンピュータに「ダウンロード」したときに肉体の意識が途切れ、コンピュータ側で意識が動きだしたとして、それが「あなた」であると、外から見て判定できるのでしょうか?

「脳の中身をPC保存」とか言って、科学者がへんなものを創ってしまわないか、少々心配です。まぁへんなものができたらできたで面白いですけどね〜、あはは。




ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。何人がここまで読んでくれたかわからないけれど、いちばん書きたかった「最後のおはなし」をします。“あなた「 Y(Y,Y) 」は、ある朝目覚めたら「 X(X,Y) 」になっていました。おしまい。” このときあなたは、それが起きたという事実に気づけるでしょうか? ここまでの内容から、この短い話の意味をちゃんと理解できたら、ちょっと戦慄してもらえるんじゃないかと思うんですが。