すべての夢のたび。

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ブログ文章術:正しいことを書いてはいけない

先日、 404 Blog Not Found で「ブロガーのための三部作」という記事があり、『高校生のための文章読本』という本より次の一節の引用がありました。

良い文章とは

  1. 自分にしか書けないことを
  2. 誰が読んでもわかるように書いた文章


上記の一節は以前この日記でも紹介しましたが、ぼくも文章を書く上で“かならずそうであるよう”心懸けていることです。何度も紹介している加藤典洋さんの『言語表現法講義』で初めてこれを見たのですけれど、それ自体は『高校生のための文章読本』からの引用でした(つまりこの日記に書いたのは引用の引用)。

今回は、1.の「自分にしか書けないこと」を取り上げてみます。ぼくが思うに、「自分にしか書けないこと」とは、次の3つです。

  • 独自な経験
  • 独自な視点
  • 独自な文体

「独自な経験」、これはブログに文章を書くうえで、強力なアドバンテージになります。名前しか知らないような国の旅行記とか、聞きたいことある?って職業とか、もうネタの新鮮さだけで勝負できる感じ(この観点では「元オウム信者」とかは最高に美味しいポジションだと思う)。でもそういうのはサラリーマンや主婦や学生じゃ難しいですよ、というなら、「独自な視点」。同じような生活を送っていたとしても、それを見る目、切り取り方が個性的であれば、ユニークな文章になり得ます。それも無理なら、「独自な文体」で文章を書く。書き続ける。たとえばはまちやさんみたいな。(これは、「はまちちゃんは文体だけだよね!」って言ってるわけじゃないよ…!)


ぼくは文章を書くにあたり、それが「自分にしか書けないこと」であるか、かならず自動的にチェックが入るようになっています。「自分にしか書けないこと」の反対はもちろん、「誰にでも書けること」です。たとえば、なにかひどい事件があって、ひとこと言いたくなった。しかしそれが「まったく!けしからん!こうすべき!」というだけの内容であるなら、ぼくはひとこと言ってやりたい気持ちを抑えて、言及はしないようにしています。ぼくだってふつうに、悪いことはよくない、と思います(←書いててバカみたいだ)。しかしそんな「正しいこと」をぼくが書く意味はありません。そういう誰でも書ける文章はこの世界に「新しい何か」を一つも付け加えることはない。「疑いなく正しく、絶対必要であり、でもどこにでもある」文章は、「ブログの価値を上げること」の役には立たないのです(「選挙の一票」みたいな意味は、あると思うけど)。

まぁ簡単に言えば「目立ちたいなら人と違うことをしろ」と、これだけなんですが。


さてここまでが前置きだ(おい)。うちのアクセスログから下記の記事を発見しました(リンクしていただいてたので気づいた)。


edo13thの日記 : 「右に同じ」でいいじゃない。


これ、すっごくいいエントリだと思うんですけどどうですか? ブックマーク推奨。上でぼくの言ってることとは反対に近いことを語られてますけど、別にどっちでもいいんですよ。こういった「相反する見解」は必ずどこにでもあるのだから、要は、自分にしっくり来る方を採ればいいんじゃないか、と思います。


追記:今日の日記の上の方↑に、まなめさんへのレスを書きました。

オタク、女子研究

再イオン化 : 原書房編集の投稿


うーん。「吉本たいまつ」さんの怒りのポイントがいまひとつピンとこないんですね。『オタク女子研究 腐女子思想大系』で実際に言及されてる腐女子のひとの側の声はそんなに聞こえてこない、いや、あるのかもしれないけどそれほど目立たない、のに、男性である吉本さんがいちばん怒ってる、ように見えるのがよくわからん。そこまでひどい本かなぁ? と思ったんだけど、じつは、吉本さんは「腐女子オタク」で、好きなモノを悪く言われたような気がして、怒ってんじゃないのか、と考えると、なんとなく腑に落ちたような気がする、のですがどうでしょう。

我はブロガー、零を正負に引き裂きてエントリを紡ぐ者也。

今日の記事の下の方にある「ブログ文章術:正しいことを書いてはいけない」について、まなめさんからリンクしていただきました

全体的に同感なのですが、「目立ちたいなら人と違うことをしろ」というのは私が最も嫌いな部分。
「良いものを作りたいなら、誰もが通った道を通れ」と言いたい。


ぐ。「最も嫌い」って結構強力な異議申し立てですよねぇ。と思ったのでちょっと言い訳をしておきます。

まず、「人と違うことをしろ」というのは、「目立ちたいなら」で、さらに「ブログで」です。別に多くの人になんて見て欲しくない、というなら好きなように好きなことを書いていればいいし、ブログ以外のことについてはあのエントリは語っていない。しかし、ここブロゴスフィアに限って言えば、良い記事を書き続けていればいつか認められる、なんてことは、幻想に過ぎないとぼくは考えています。

実際、例えば「お!このエントリいい!」って感じてアンテナに登録した日記が半年経っても被登録数1のままだったり、この日記を多くの人に見てもらえるようになったタイミングで過去記事をageてみたらすぐブックマークされた、ということはあるのです(まだいろいろ埋まってると思う)。とりあえず、記事を見てもらえるような環境を用意できないと、お話にならない。「良いものを作る」ことだけでなく、こういうことにも気を遣わないとだめなんじゃないでしょうか(逆に、有名になったら、「違うこと」はしにくくなるのかも。うちは今ぐらいのアクセス数が丁度いいのかな)。


「で、みちアキはどうするの?」 : 技術がSACを加速する


はてなダイアリーでアクセス数が10倍上であるってことは、注目エントリに10倍載りやすいってことです。載ればまたアクセスが増え、また注目エントリに載る「実質閾値」が下がる。そうやって、どんどん差が開いていくんです。「目立ちたいなら人と違うことをしろ」なんて、ぼくも別に好きじゃないですよ。でも、やらないといけない場面もあるんじゃないかなぁ、という話です(新規参入時とか特に)。「いや、それでも、誰もが通った道を通れ」と仰るなら、もう見解の相違ということで仕方ないかなぁとは思いますが。


つーかアクセス数が多ければ(≒認知度が高ければ)「うんこうんこ」で注目エントリですよ。や、ぼくはえっけんさんのエントリから感じ取れる「ブログをやりたい人への愛の深さ」は本当に尊敬してますけどね。