すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

信じること、知ること。運命と偶然。

「アナタ ハ カミ ヲ シンジマス カ?」
こう聞かれたとき(……………ゴメン) どう答えるだろう?

「信じません」 まずこう言うだろう。
「でも、知っています」 それからこう言うかも知れない。
「というか、個人的に知り合いです」 ……これは嘘。


信じることと知っていることは違う。
知っていることは、信じる必要はない。
アフリカに住んでいる人は、雪が冷たいことを“信じる”必要が
あるかもしれないけど、私たちは「雪が冷たいって信じる?」
と聞かれたところで「っていうか知ってるし? 当然だしそれ」
と言うほかないだろう。

“知る”は強力だ。
それは、こちらの“信じる”なんて強引にねじ伏せるように
こころの中に侵入してきて、基から書き換えてしまうのだ。
たとえ信じていたものとその姿が違っていたとしても、
一度ソレを見てしまえば、感じてしまえば、
もう疑うことはできなくなる。


で、恋愛なんだけど。

girl meets boy. 出会って、始まって、
「ああこの人なんだ」って思う。「運命なんだ」って思う。
「この人に会うために生まれてきたんだし、
 他の人なんてもう考えられもしない」って思う。

だがちょっと待った?


人類の半分は異性なわけだ。
自分にとって適齢期の異性が何億人いる?
まぁ宗教・言語が違うと相性が良いとは言えないかも
知れないので、相手は日本人に限定しようか。
それでも何十万か、何百万だろう。

それをなんで?
同じクラスだったとか、先輩後輩とか、家が近所とか、
同期入社とかネットの掲示板で知り合いましたーとか
手近で済ますよ?
そんなレベルで一番の相手とか思っちゃえるんだ?
安くねぇ?

100歩譲ってあなたは最善の相手に会ったと仮定しようか?
でも、あなた、なんか特別なの?
あの人たちのあの出会いも、誰のどの出会いも全部、
会うべき人、一番相性がいい人に会えたんだなんて、
そんなの確率的にいって有り得ない。
他の人は偶然に相手に会っただけなのに
あなただけ、なんで「運命の巡り合わせ」なの?
もっといい人、ほんとはどっかにいるんじゃないの?


皆がみな運命なら、裏で采配をしている何かがいる。
そうでなければ、ほっとんどすべてー、は、偶然だ。
ほんとは誰でも良かったのだ。替えが効いちゃうのだ。
でもそれは、マイナス方向に考える必要はないんじゃないかなぁ。
だって、ほとんどの人は、ほとんどの人とうまくやっていける能力を
持っているんだよ、ってことの証明にほかならないでしょう?
祝福すべき事態だと思う。


さて、運命か(ソレはいるか)、偶然か(ソレはいないか)、
どっちになりました?