昨日がんばった記事書いたんで、今日は軽くいきましょう。
「独我論」という考え方があります(って、これで「軽い」んですか?)。はてなのキーワードだと「懐疑論」にリンクされてますね。世界は、わたしが知覚できる限りにおいてホンモノだ、みたいな。たとえば、「他人の心」なんてあるかどーかわかんないし、わたしが死ねば世界は消失してしまう、ような考え、かな? そんなに定義がはっきりしてるわけじゃないと思います。
こういう考えは、誰もが子供のときに一度は思い抱くものです。と思ってました。と思ってたら、単に、「わたしと知り合いになるような人には、なぜかそういう人が多かった」というだけみたいです。そんなことまったく考えない人もいるみたいです(いるのでしょう?)。
独我論は究極的には論破できないのです。ではこういった、「お前は俺の意識の中の存在に過ぎない」みたいなことをいう人がいたらどうするか? いっぱつ殴ってやればよろしいです。それも彼の意識の中のひとつのできごとに過ぎないはずですから(笑)。
独我論者は「他人の心の存在は知り得ない」と主張します。では、その考え方が自分自身に向けられたらどうなるでしょう? 独我論者Aに独我論者Bが言います。「A君、キミはほんとうに人間なのか? ロボットじゃないって証明できるかい?」 Aは答えます。「なに言ってるんだいB君。キミにはわからないだろうけど、ボクには、ボクが心を持っていることはまるで自明であって、証明する必要なんかどこにもないんだよ」
では、証明せざるを得ない状況に追い込んでみましょう。
『ゴーストの公案』
あなたは草薙少佐に追われています。「某研究所から機密文書を盗み出して逃走中のアンドロイド」と勘違いされているのです。あなたは草薙少佐相手に、自分がゴースト(心)を持つ人間であることを証明しなくてはなりません。ただし、「逃走中のアンドロイド」は、証拠隠滅のため自爆する可能性が想定されているので、彼女との物理的な接触は不可能なものとします。
ゆ〜さんのBLOGの攻殻機動隊の記事を見て思いつきました。あなたは少佐に頭蓋を撃ち抜かれる前に、自分が心を持っていることを証明できるでしょうか? わたしの答えは「他人に対し、自分が心を持っていることを証明することはできない」なんですけど。(それどころか、わたしは「わたしが心を持っているかどうかさえ怪しいもんだ」と考えている、心の非在に関する右翼です(笑))