すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

わかったようなことをいう

取調室内の会話。

A:わかっていたなら、なぜやったんだ?
B:わかっていたんですが、つい……。
A:わかってないじゃないか!
B:わかっていましたよ!

たぶん5000回くらいループ。


Aの「わかる」とBの「わかる」はなにかがちがう。なにがちがうんだろうか。Bは、知識としては知っているが、実感として、自分のこととしては、とらえられていない、という感じか。対してAは、理解している。腹の底からわかる、というわかり方だろうか。法によって求められているのはAのわかり方だろう。刑務所は、Aのようなわかり方ができるようにBを作り替える場所かもしれない。(それほどうまくいってないようだけど)

個人的には「Bは、わかってない」と言いたくなってしまう。これは同意してくれる人も多いのではないか。でもぼくは、禁煙時間帯のホームでタバコを吸って吸い殻をそこらに捨てる人に対しても、まるでおなじように「この人は、わかってない」と思ってしまう。これは反発する人も多いのではないか。なにがちがうんだろうか。他人にあたえる害が少ない点がちがう? 規則をやぶっている点はおなじ? 他人にあたえる害が少ないからといって、規則をやぶっていいわけではないだろう、というと思ったら間違いで、やぶっていい場合は、ある。とか書いちゃっていいのか。いいか。するとぼくは、禁煙時間帯のホームでタバコを吸って吸い殻をそこらに捨てる人が、単にキライなのだろう。うーん、了見がせまいことを自覚。


でも、例の人はほんとうに「わかってなかった」のかもしれない。7時間も飲んで車に乗って、もし「あぶないとわかっていた」というなら、それは真性であって、なにかの症状であって、いっぺんちゃんと診てもらうべきであって、刑務所とは別の場所に収容されたほうがいい。つまりあの人は、わかってなかったんだろう。まったくすごいことだ。それに同乗してた人もすさまじくすごいけど。