すべての夢のたび。

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人間原理について

人間原理とは「宇宙は人間に都合良くできているように見える」というものです。ときどきこれを勘違いして「そんな人間中心なんてあるわけないだろ!」と言ってる人がいるので、ちょっと説明してみます。

「都合良くできている」とは、たとえば地球がもう少し太陽に近かったらとか遠かったら、地球の重力がもっと弱かったら、大気中の酸素がもっと少なかったら、などなど、こういう条件のちょっとのズレで、人間は存在できなかっただろう、ということです。「自然定数」―重力定数や光速度、核力や電磁気力が、ほんのわずかでも今の値よりずれていたら、現在のような、人間の住める宇宙にはなっていなかっただろう、物理学者はそう言っています。


ここで宝クジを考えてみます。1等の番号が"175649"だとします。すると、1等に当選したAさんは、自分のクジをみて「わたしのクジが"175649"だったなんて、ものすごい偶然だ!」と言います。でもこれ、当たり前ですよね。「1等のクジの番号が"175649"」かつ「Aさんが1等」ならば、「Aさんのクジの番号は"175649"」でしかありえません。クジの番号の桁数が100桁になろうが1万桁になろうが、同じことです。それに、ハズレだったBさんの番号が"138762"なのも、Cさんが"154065"なのも、Aさんとまったく同じ「ものすごい偶然」なのです。

もし、机から落としたエンピツが、拾おうとしたら床に立っているのを見てしまったら。それがどんなに確率が低そうに思えても「エンピツは垂直に落ちたのだ」と言うほかないでしょう。いえ、「“何か”がそれを立たせたのだ」と言ってもいいです。でも、「そんなのありえない」と言うのは、ちょっとナンセンスですよね。だってもうエンピツは立っているんだから。人間はもう存在してしまっているんだから、それがどんなに確率が低い事象の組み合わせでしか起きないできごとであっても、いやむしろ、そうであればあるほど「宇宙は人間に都合良くできているように見える」のです。これが人間原理。「宇宙は人間に都合良くできているように見えるけれど、それはなぜか?」や「宇宙は人間に都合良くできるようになっている」というのは人間原理ではありません。勘違いしやすいポイントはここだろうと思います。


宝クジと宇宙の違いはあります。「そもそも1等は必ず存在するのか?」「1等を誰も買わないことはないのか?」「ハズレを買った人はいるのか?」 これらは人間原理とは無関係で、あいかわらず不思議や神秘の領域に属する問いです。