すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

反応

id:itkzさんが、件の質問について反応してくださってます(『躁鬱断層』2005/8/20の記事)。記事自体は、ちょっと読んで、わたしには役に立たない内容だと感じたのでほぼ読み飛ばしてます。最後の方だけ少し読みましたが。その後、ここの8/18の記事(みーんな倫理とかすきナー)に、こんなブックマークが付いてるのを見つけました。

# 2005年08月25日 itkz 『[やべー][うんこ]おいおい、23の回答者(http://www.hatena.ne.jp/1124114353#a23)他いろんな人に失礼だと思わないのですかこの野郎このー!』


さらに、メールチェックしてなくて気づかなかったのですが、投げ銭まで送られてました。

ポイント送信明細
〜〜〜〜〜〜〜〜
ポイント送信者: itkz
ポイント受取者: michiaki
送信ポイント : 1ポイント
コメント
〜〜〜〜
あんまりだと思いました!


うーむ。反応してほしいのかな?と思ったので、すこしだけします。(これ以上は、しないと思います)


まず、わたしは「正しい答え」が知りたくて質問をしているのではないということです。このあたりはid:schillasalさんほか、それなりの数の方には通じているようです(引用は『しらざるをしる日々』2005/8/28の記事より)。

質問者の方も、無茶を言ってるのは分かってて質問してるんだよね、これって。既にかなり自分で考えたんだけど、どっか全く違うところから湧き出る発想が欲しいというか…。ってこれは私の妄想か。

あ、解答読んでてこれは思いましたねー。質問者の意図が読めてないんだろうな、と。あと、語りたいんでしょうね。質問者の意図など関係なく。と言うか語らずにはいられない。ま、私もそうであるわけですが。


質問自体に強いストレスを掛けることで、とんでもない答えがハジけて出てくるのを期待してるわけです。例えば、禅の公案で「隻手の音声(せきしゅのおんじょう)」というのがあります。両手を打てばパンと音がする。では片手ならどんな音がするか?というものです。これを師匠が弟子に問う。片手で鳴る音とはいったいなんなのか? 弟子はウンウン唸りながら考えに考えるのです。でもここでは「片手では音は鳴りっこありませーん。鳴りませんったら鳴りませーん」って回答は、期待されてないのです。これが、件の質問での「倫理抜きに説明はできません」系の回答にあたります。

ただ、また、他の意図もわたしにはありました。「倫理抜きに説明はできません」という回答がいっぱい並ぶことで、殺人禁止が無条件命令だと思ってる人たちに、そう考えない人も数多く存在すると知らしめること。単に回答数が+1されることで「盛り上がってるね!」というふうに見せること(この役目のためには、回答の内容を問わず機能することができます)、などです。


他人の出した答えは、わたしには単なる知識に過ぎません。それらのヒントを集めて、もう一度自分の頭で考え直し、納得して自分の答えを出すこと。知識を知恵にすること。これがわたしのやりたいことです。それが、どこかの偉い哲学者が大昔にすでに辿った道であろうと、別に構わないのです。結局同じ答えに導かれたなら、それもまたとても嬉しいことじゃないですか? 他人の答えのうち一番よさげなものを採用するとか、議論の方向をコントロールして最終の解に導く、などという考えはないのです。「そっけないコメント」は、回答者の回答がとっくにわたし自身によって考えられていて、ダメだと思って切り捨てた理由を述べたものです。


ひとの書いた記事に[うんこ]とかいうタグでブックマークするのは失礼ではないんだろうか……とも感じたのですが、考えて納得できました。「殺したら、殺される」のように「失礼なことをしたら、失礼なことをされる」のです。「失礼なことをしたら、怒られる」ではないところがポイントです。わたしは直接相対した個体(回答者の人)から怒られているのではない。まったく別の個体から、失礼なことをされているわけです。つまり、ここでは「社会」が機能している!と、期せずして実感することができました。