すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

おまえはおれの猫じゃない

Rivers and Bridges より 私のことをお話しします
おれはおまえのパパじゃない より モテ・非モテ話から離れて

iduruさんとテラヤマアニさんの間で幾度か応酬があり、自分を守ろうとしたiduruさんが「まさかふつう持ってると思わない、ほとんど最強に近いカード」を切ったので、アニさんが降りた、という話(おおざっぱすぎ)。

「私は小中高の12年間をずっといじめられっ子として生きてきました」


もちろんそんなカードの存在を知っていたら、アニさんはゲームに乗らなかったかもしれないし、もちろんiduruさんも好きこのんでそんなカードを得たわけではないし、今回使ったことすら意図に反して、かもしれない。でもこれはもう起きてしまったので、仕方ない。これから、良い解釈を見つけるしかない。

けれどもアニさんはそんなカードをiduruさんが持ってるとはまったく気づかずにゲームを進めていたわけで、それはアニさんが鈍いんじゃなくてiduruさんがうまくやれてたからだと思います。だから、うーん、そのカードはいつか捨てなくちゃいけないんじゃないかなぁ。わたしは、そういうのチラついたら、ヒきますもん。そんなに優しくないし思いやりもないから。だってそのカードの裏には、いっぱいの良識派みたいなひとたちが見えるし、そんなふうに気を遣って付き合うのもいやだし。それ持ってる限りは、一面では強者です。

だから、いつか、手放せる日がくるといいですねー、なんてこた言えない。手放したほうがいいんじゃないのかなー、ぐらい。iduruさんがどうなろうと、別にどうでもいいですから。わたしの奥さんや、飼っていた猫や、日本や、ゆーせーみんえーかや、インターネッツや、世界なんかと、等しく、ひとしく、どうでもいいです。所詮他人のゲームなんだし。飽きるまでやればいい。


で、敬するブロガーであるところのテラヤマアニさんについては、今回のでスタイルが変わっちゃわないといいなぁ、と思っています。(手を合わせる)

私は物事を考える時、「世界は自分のために回っているのではない」という地点からスタートします。「自分は孤独だ」という場所から。それが今でも真実だと思っているからです(ちなみにリアルの友達はひとりもいません)。


わたしは、「世界は自分のために回っている」と思っています(このblogを読んでる人は先刻承知でしょうが!)。でも、「自分は孤独だ」というのはiduruさんと同じです。もともと少ないリアルの友達は現在全部切っていく方向で、人との付き合いは(会社以外は)ネット上だけにしようと考え、実行しています。この差はなんだろう。人付き合いってそんなに必要? それとも、いちどでもちゃんと愛された記憶があれば、その後120年くらいは拗ねっ子でも生きていけるってことなのかな。