すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

世界をよくするために

世界をよくする現代思想入門 (ちくま新書)』を読み終わりました。新書だけどゆっくり読んでみた。これ、ひょっとして、いい本なんじゃないかなぁ?と思います。ぼくみたいな素人さんにはお薦めなのではないか。方針がよく、過程がよく、結論がいい。そして著者のひとの性格も、たぶんいいのでしょう。しかし(これだけ易しく書かれているというのに)わからないところがいろいろあったので、すぐ再読にかかります。

この本を読んでわかったのが、現代思想って、用語は難しいけど語られていることはけっこう普通だな、ということ。それもうやってたわ、知ってたわ、みたいなのが多い。とくに、デリダ(という有名な人)の「脱構築」(という有名な概念)。キーワード説明読んでみてくださいよ。なにいってるのかわからん。しかし、実はごくふつうのことだった。Aと非Aとか(モテと非モテとか)関係をくくり出して事象を分析しようってときに、そもそもその関係のくくり方自体が問題を作り出してる可能性があるんだよー、それを常に忘れちゃだめだよー、みたいなことです(ぼくの理解では)。これ、習うようなことじゃないですよねぇ。


で、この本の結論(=現代思想の現状の到達点)、書いちゃっていいのかな? こう。

私たちは思考するとき「世界を〈よく〉する」ということを目的とし、実践するとき「私の周囲Xメートルかの世界を、今私が正しいと思う方向に、変化させる」ということを目的とする、ということです。


うん、と同意できる。そんなのでいいのか?ではない。これでいいんです、きっと。ぼくがずっと前に天啓のように思いついたことと変わらない。これは、自分だけがよければよい、という考え方とは違います。結局、なにが幸福なのかなんて、誰にもよくわからないのです。しかし、他人にとっての幸福より、自分にとっての幸福のほうがまだわかる。これは確かなこと。だから、他人のやっていることを信頼しつつ手伝いつつ、自分の幸福を追う、ということです。そして、周囲Xメートル、身近なところをやる。みんなが身近なところをやればいいのであって、わざわざイラクまで行かなくてもいいのです(でも行ける人行きたい人はもちろん行っていいのですが。「Xメートル」は人によって違うということ)。そしてぼくは世界の一部なのだから、ぼくがよくなった分、世界は確実によくなる。というふうに、目標は高く持て。驚くなかれこのblogですら「世界をよくする」ためにぼくはやっているんですよ。ほんとうです。あなたが、「こんな見方もあるのか」と思ってくれたり、「こんなことやっていいのか」と自分もやりたくなったり、単純に笑ってくれたり、してくれればよいと思っているのです。たまたまその方向性が個人的な楽しみ(考え事したり文章を書いたり)と一致していて、また、読んでくださる方々もいらっしゃるので、こうやって続けていられるのです。まったく運がよいです。