すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

ひとりでいる、という選択

そんなに彼女が欲しいですか。そうですか、わかりました。ぼくもそうでした。たぶんぼくが結婚した最大の理由は「それが当たり前だと思っていたから」です。というふうに、まずここから間違ってる。それは好きな相手がいるからするものであって、結婚すること自体が目的じゃない。というより、相手と一緒にいられればいいなら一緒にいるだけでもいいんじゃないかと思う。まぁ結婚したほうが有利なように世の中はなってるわけですけどね。

でも中には、ぼくのように「ひとりで平気だ」という人、かつ「ひとりでも平気かも?」なんて考えたこともない人、が必ずいるはずなので、ちょっとだけ言います。結婚とかアタリマエじゃないですから。ほんとにする必要あんの?ってとこから一度考えてみたほうがいいですよ。

ひとりで平気だ、っても、それは精神的な話で、物理的にはムリですよ。無人島とか山奥とかジャングルとかにひとりで放置されたらぼくは短期間で死ぬと思います。ひとりじゃなにもできないですから。しかし精神的にはそうではない。このblogの土日のエントリでわかるように、だいたいぼくは休みの日はひとりで外出してます。あれこれ買い物したり、スタバでコーヒー飲みながら本読んだり、ひとりで美術展に行ったりイベント行ったりいろいろ。それがほんとに楽しい。楽しくなきゃこの寒い中毎週末出かけませんて。

でもふたりならもっと楽しい、こともある。ふたりでギャーギャー言いながら店を回るのはホントに楽しいと思う。ふたりでなきゃ得られない種類の楽しみもあるし、ふたりでないと行けない場所だってある。けど、ぼくには、「ふたり」の楽しみは、なんていうか、ごちそう、みたいなものなのかな、と思います。ふつうのごはん(=「ひとり」)で充分に美味しいし、それでちゃんと生きていけるのでべつに困らないのです。

それにさ、人間、意識はひとりにいっこあんじゃん、とも思うわけです。繁殖するのは男女ペアでないとムリなんで、生物としては女でも男でも個体では成り立っているとは言えない(社会、が必要ですかね)。しかし一個体が一生をまっとうするだけなら個体のままでよいのですよ。もちろん誰かに寄りかからないとダメだ、って人は、いると思います。それはそれでぜんぜん良いのであって何を言うつもりもない。というか多分そっちの方が良い、に決まってる、んじゃないかな。しかしそーでないひともいるだろー?ってのがぼくの意見なワケですよ。自分がそういう人かどうかを見極めるのはなかなか難しいとは思いますが(ぼくなんて結婚するまでわからなかったわけです)。


あともうひとつ、ひとりでいるわけ。ごく単純に言って、ぼくという人間は他人にあまり近づくべきでないと考えているのです。理由は、人として歪んでいるからです。もちろんリアルで他人と接触するときは、そういうのは隠しているし、ネットではリアルよりはいろいろ見せてはいるけど、ほんとうはもっとぜんぜん、ひどいものなのです。いつだったか、ぼくのはてなの質問でのやりとりを見た友人Yがぼくに「あなたは他人を実験動物かなにかと思ってるでしょ」と言いました。的確な評価だと思ったけど、「や、動物はしゃべんないから」と返しました。「じゃ、被験者と思ってる」「そんなところかも」。そんなところ、かも知れません。そういう人間は、他人に近づくべきではないと思うでしょう? だから、そうしているのですよ。(ネットではコミュニケーションしているのは、ネットでならそちらからでもこちらからでも好きなときに関係を解消できるからです)

たとえば、「悪人」と言われている人が死んだニュースがあったとして、ぼくは遺族の立場になって一緒に悲しむことができるし、世間の立場になってざまを見ろと思うこともでき、その両方を「楽しむ」ことができ、ざまを見ろと思ったことについて罪悪感を感じつつ(=良心がある=わたしは悪人ではない!)それをずっと改めないでいられます。どころか、殺人事件の被害者遺族側になって悲しみ、かつ、犯人になって「そのシーン」を「その凶器」で、脳内で再現してみたりもするのです。「どんな感触がするのかな」と。ひどい事件が起き、一方でやるせなさを感じつつ、もう一方では「人間の可能性ってスゲエな!」と感嘆する。その両方がふつうに同居しているのです。ぶっちゃけぼくが何も起こさないのは、倫理を知っているからでも法律を守っているからでもなく、シンプルに、それをして見つかったら良くない目に遭う、と判っているからです。完全にばれないと確信が持てるなら、わからないと思う。宅間や宮崎になるまえに社会性をエミュレートする技術を身につけただけです。

……というような人でも、いちおう今の世は生存を許されています。「わるいこと」を実際にしない限りは。いや、こんな人が側にいたらイヤかも知れないですね。ぼくだって落ちつきません(ていうかもし自分が親で自分の娘が「こんな男」と付き合おうとしてたら絶対に止めるでしょう)。仮に自分が「不治の病」だったなら、一定以上の関係になる前に相手にそれを告知するだろうし、相手がそれを受け入れられるなら付き合いもするでしょう。付き合うのは「病」ではなく「人間」だからです。でもぼくの場合はその「人間」そのものが歪んでますので、受け入れるもなにもないだろと。告知しないで隠すこともできますけど、それはやっぱり相手に申し訳ないと思うし(思ってた)、疲れます(疲れた)。まぁ二度は間違えないようにします(と言っても許されるものでもないけど)。