すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

日記

ガールズアリーナ」というハロプロオンリー同人誌即売会のため、京浜東北線で蒲田へ。13時ころ蒲田駅着。会場は駅から3分程度らしいが、場所をよく調べていなかったので迷う。携帯で再検索。「アロマスクエア」(どうしてこんな名前を…)の一角にある大田区民ホール「アプリコ」(…)のB1Fらしい。アプリコは区民ホールという響きから想像される、すすけた壁で薄暗い照明の建物ではさすがにぜんぜんなくて、再開発で上層階までブチ抜きでガラスで無駄に綺麗な建物だった。2Fでは「アミューズソフトフェスティバル」とかいうなんかアニメのイベントをやっていた。

ガールズアリーナの会場である地下へ移動。受付で300円でパンフレットを買う。ホールは結構ひろい、綺麗。なんていうか、披露宴会場に使えそうだ。そこに62スペース。62である。文学フリマですらその倍くらい、コミケ69は23,000スペースだ(調べた)。今回はおそらくぼくが行った即売会中で最少だ。行った理由はもちろんMATSUDA98さんが出てるからである(いい加減キーワード化しろと思う)。それはぼくが「リアル」に対して積極的に接触・干渉を行う数少ないポイントの一つだ。スペースへ伺う。いた。色紙をお描きでらっしゃる。挨拶して、コピー誌と缶バッチ(ダブルユーだ)を購入(マツダさん曰く、缶バッチがメインでコピー誌はオマケとのこと)。ちょっとお話してから「一回りしてきます」と言ってスペースを離れる。と言っても、ハロプロだ。まったく圏外だ。ダブルユーをマツダさんのblogで知り(写真を見せられれば「これはツジかカゴのいずれかである」とは言えるが、そこまで。大変申し訳ない)、ベリーズをうたかさんのblogで知ったような(こっちはマジわからん)人間に、買うような同人誌は多分無いのだ。絵がよほどすごい、とかでない限り。ひとまわり、したものの、何も買わなかった。

ホールの一隅ではコスプレをやっていた。面白い。ふつう?の漫画やアニメのコスプレは、それが「現実化」した時になにか落差が発生するものだけど、コスプレ元がアイドルだと、ただの「アイドルの格好をしている人」というだけになってしまうのだ。というか、やってる子が充分可愛ければ、それは「ただのアイドル」にしか見えない(そもそも、コスプレ元の人の顔を知らないのだから)。

またマツダさんのスペースに戻り、今日は帰る旨を告げ、挨拶をする。「頑張ってください」などと、あーあと思いつつ言ってしまう。とっくに頑張ってるよな、と思うけれど、まだほかに気持ちを伝える言葉を開発していないのだ。また来ます、と言えばいいのか。連載してる漫画の感想でも言えばいいのか。だいたい、来て良かったのかさえも微妙だ。ここはハロープロジェクトのファンのための場であり、マツダさんの缶バッチもコピー誌も、そういう人たちへ向けて作られたものだろう。そのことは忘れないようにしないといけない。しかしマツダさん好きをやめるつもりもないので、我を通すほうを選択する。ぼくが毎回即売会に行くことがわずかでもマツダさんのプラスになっていればいいのだけど、しかしなってなくても行く。

ホールを出て、敷地内にあったタリーズで休む。それから、京浜東北(快速)で浜松町、山手線に乗り換えて有楽町で降りて、無印良品へ。なぜ有楽町までわざわざ行くのか。ひとつは、大きいから。もうひとつは、ここでしか買えない服があるから(最近通販でも買えるようになったが)。というわけでたまに行く。MUJI LABOの綿の白いシャツは結構いいなと思ったけど(裾が切りっぱなしぽかったり、縫い目が外側にあったりする)、いつも鞄をしょってる自分だとジーンズに当たる部分がすれて青くなり悲しくなるので、やめた。ふつうの、シャツとジャケットを買った。春物だ。春と秋はたとえ気温が同じでも違う服を着なくてはならないのだ、というのは、服をちゃんと選んで買うようになってからした発見のひとつだ(これはオタ脳では気づきにくい)。そして「おーこれいいな」と感じたシャツはたいてい、Mサイズだけ妙に減ってるか、売り切れているのだ(ユニクロでもそうだけど)。みんな早すぎると思うが、まぁ少しは自分も見る目が付いてきたのだと喜んでいいんだろう。それにしても無印が好きすぎる気もする。

徒歩で、東京駅へ。東京駅も好きだし、昔からすればずいぶん綺麗になった。ぼんやり歩いて、八重洲北口の、ちょっとだけ高級そうなレストランが集まっている区域へ行く。この時点で16時だけど、昼食を取ることにして店を見て回る。と、頂上麺という「ふかひれ麺専門店」があって、カウンターが見えたので、入ることにした。一人歩きで残念なのは、まず美味しそうな料理を出す店に入りにくいことだ(次に、服を探して試着するときに荷物に注意しなくてはいけなくて落ち着かないことだ)。だから一人で食べられるカウンターのある店は貴重だ。セット(ふかひれの煮込みつゆそばの小+ごはん+皿一品選んで¥1,500)を頼む。すぐに出てきた。土鍋がまだボコボコ言ってる。醤油味の濃厚なスープ、というかあんかけ?で、ひとくち食べてあーこりゃ美味しいわ、と思った。しかし今検索したらそれほど評判は良くないようだ。みなさんよほど普段からいいものを食べているんだろう。一品選んだ黒酢の酢豚も美味しかった。入り口のすぐ横に、港にずらり数百の「ふかひれ」を並べたモノクロ写真が大きく貼ってあり、「ふか本体」はどこへ行っちゃったんだろうと思う。

最後まで熱いスープというかあんを飲み干して満腹になり、ちょっと携帯でアンテナをチェックする。まぁ始終チェックしているのだけど。すると、erukさんのところが更新されていて、読んで、その志摩子さんへの愛に感動し、コミック版マリみてを買いに近くにある丸善のコミック専門店へ行く。3巻は多分買った。4巻は多分買ってない。ということで新刊を買うのを躊躇していたのだけど、4巻5巻をレジに持っていき、suicaで支払う。suica払いはなんか払っている気がしなくてマズい。そんなふうに、アンテナに入れてるひとのうち幾人かをぼくはすごく頼りにしていて、こっそり「外部脳」と呼んでいる。どうもその人たちのblogのエントリを読んでいると、ぼくの代わりに、ぼくが気にしていることを考えてくれているように思えてくるのだ。まぁ、自分で、自分の好きな傾向の日記を書く人を選んでアンテナに入れたわけで、というか自分の好きな傾向の人というのは自分(M)に似たエントリを書きがちな傾向があり、つまりその人たちはおそらく「自分のことが好き」なのだろうと思う(そしてマリみては白なのだろうと思う)。

して、帰宅、途中でコーヒー飲みながら本読んだり。移動中も読んでいたのだけど、『順列都市〈上〉 (ハヤカワ文庫SF)』は、すごい。さすがだ。先日「はてな」の質問に出したような、機械に意識を移すことが可能になった時代の話で、まだ150頁くらいしか読んでないけど、ぼくならそれで1エントリ起こしてしまえそうな哲学的ガラクタが、これでもかというほどの量ブチ込まれている。読み終わったら、ぼくの「考え」が前進してしまいそうだ。イーガンは読める分(日本語に訳されている分)は読んでおいた方が良さそうだと思った。

そしてまたマツダさんの話に戻ると、MATSUDA98さんは商業誌に連載を持つプロの漫画家である。けれど、同人誌の即売会にも頻繁にスペースを出している。そのうえ、今日の「缶バッチとコピー誌」なんて、合わせて¥200である。原価と交通費を考えるとプラスになっているのかも怪しい。好きでやってるんだなぁと思う。そして、毎回、コピー誌の場合もあるとはいえ新刊が出ているのだ。これは本当にすごいと思う。ごくまれにペーパー(「落ちましたごめんなさい」と、落ちた言い訳と、ちょっとしたイラストと、次の予定が書いてある1枚のコピーした紙)だったりもするけど、それでも、夏冬のコミケでしか見掛けないのに、行くと「新刊落ちました」ってマジックで書いた紙が机に貼ってあるばっかりのサークルとは、違う、と思う。

この話がどこに繋がるのかというと、「新刊落ちました」の紙ペタリ、は、「たとえ多忙で更新できなくても、「更新できません」と更新すべき」みたいだなあと思ったので。べつにいいけどさ、「落ちました」ばっかりじゃ、見放すよ、ということ。ぼくがはてなダイアリーを始める時に自分に課したたったひとつのルールは「毎日更新すること」であって、今のところ守れている、はず。そしてルールではないけど、書く以上は、来てくれる人のために中身のあるものにしようと思う。時々?はズルっぽいエントリもあるけど。でも「更新できません」は避けるようにしている。いろんな日記を見ている感じでは、「更新できません」というエントリを書いてしまったところは、だんだん更新間隔が大きくなり、かつ、全エントリに占める言い訳エントリの比重が次第に増していき、ついには現在の状況が「更新と更新の間」なのか「更新停止」なのか見分けがつかなくなる、というケースが多いように思う。

で、「更新すべき」。「べき」。ululunさんも「べき」にはひっかかったようで、あはははは、と思った。ぼくも「べき」は(ぼくは「べき」も)避けるようにしている。人から「べき」とか言われたらなんか、えー、と思うことが多いから、なるべく自分も言わないようにしているのだ。そしてぼくの書く文章は「と思う」「と考えて」「と感じて」などと言うのが多い。それは、断言して主張と取られて議論になったときの言い訳ではなく(それもあるんだろうけど)、ほんとうのところは「これはただのぼくの考えであって、あなたに同意してもらう必要なんて、まったくない。けど、もしも使えると感じたら使ってみてほしい」という程度の意味しか、ぼくの文章は持っていない、ということの表現なのである。ぼくが「思う」と書いたら、後ろにそういう文章が省略されていると考えてほしい。(逆に言うと、ぼくが「べき」を使っていたら、よっぽど主張したいことがあったのか、または、そのエントリはネタである、ということの表現である)

で、ぼくが「はてな」に質問を投げたとき「主語がわからん」とよく怒られるのだけど、「たとえ多忙で更新できなくても、「更新できません」と更新すべき」は、「たとえ多忙で更新できなくても、「更新できません」と、ワシTERRAZIおよびワシが読んでる日記を書いてる人は、更新すべき」なら、別にいいやと思った。