すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

明日のブロガーを今日晒す

takoponsの意味 : 書きたいけど書けない人
同 : 続、書きたいけど書けない人。

takoponsさんと、そのご友人の「ブログを始めてみたい」というNさんとの会話なんですが。

友人N:「でも、何を書いていいのかが分からない。」
TAKO:「書きたいテーマとかはないんですか?」
友人N:「テーマは特にない。」
TAKO:「ぢぁあ、TVのニュースを見て思ったことを書けばいいのでは?」
友人N:「それって結局は自己満足でしょ?」
TAKO:「まあ、そうですけど。」
友人N:「書きたいことはないんだけど、とにかくブログをやりたいんだ。」
TAKO:「やらないほうがいいですよ。」


これはいったいなんなのか。ブログ文章術漫才? 書きたいことはないけどブログをやりたい。それはお前、「ブログやってます」って言いたいだけちゃうんかと。ちょっと最近忙しくてなかなか更新できないんだよね、とか知り合いに言ってみたいだけなんじゃないのか。

TAKO:「ブログを開設したら、何人くらいの人に読んでもらいたいですか?」
友人N:「3人。」


なにその具体的少人数。それって、もしかして、友達3人とか? だったらブログじゃなくて最適解があります。携帯で同報メール。これ。だって「読んでー」ってアクセスさせといて、そこに「特に書きたいことは無いけど書いてみた記事」があるってのは、読む方としてはどうなんでしょう。そっちからわざわざ家まで食事に誘うくらいなんだからちゃんとしたもん食わせろよ、と思うんではないか?

で、もし、「3人」が友人とかじゃないとしたら。ブログに書くんなら読むのは3人じゃ済まないですよね。pingも飛ぶし、Googleにも捕まるし、どこからアクセスがあるかわからない。そしてNさんは、ここでのtakoponsさんとの会話からすると、それなりの確率でイタいエントリを書きそう。平気なのか。それより確率高そうなのは、まぁ、どこにでもある平凡なエントリを書く人になる、ってことでしょうけれど。


書きたいことがない人は書かなくていいと思う。だって、描きたいものはないけど絵をやってみたいとか、何も作りたい料理はないんだけど料理をしてみたい、とか、やっぱりヘンじゃないですか。料理ごっこがしたいのかな? ぼくは料理はできないんですけど、「切る」とか「煮る」とか「焼く」はどういうことかは知ってます。けれど、スーパーで宛もなく適当に買ってきた食材を、いろいろ切断して、鍋に入れて水を入れて醤油と味噌を入れて火に掛けて沸騰させたもの、を、「料理」とは言わないですよね。でも「ものを書く」ことについては、なんかそれが許されてしまってる気がする。日本人なら、ある1つの文字を、「読み」「書き」することは、できてしまうし、それを繰り返すとそれなりの長さになってしまう。だからみんな「自分は文章を書ける」って勘違いしちゃってんじゃないでしょうか。でもそれは文章をなめてるっていうか、モノカクコトにちゃんと向き合ってるひとたちに対してちょっと失礼なんじゃないかなぁ、って思います。(ぼくはモノカクヒトの群れのいっちばん端っこにいる、と思ってますので、ぼくより向こうにいる人に対しての失礼さ、かな。ぼく自身はいいですどうでも)


ぼくなら、Nさんのような人から相談されたら、やめとけば?ですね。だって面倒そう。変なこと言ってリンクされて晒されたり(ってまだブログ始めてもいないのにやられてますけどね!)、ブクマされまくったり、しそうじゃないですか。takoponsさんはネットマナーやブログ作法までお世話・コーチ・手ほどきして差し上げるおつもりなんでしょうか。もしそうなら、takoponsさんはすごく優しくて慈愛に満ちた人であるか、またはNさんになんか弱みを握られてるか、どっちかなんじゃないかとぼくは推測します。