すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

エントリは作品である、という感覚

中でも一番に感じていたことは、ブログに書くものを「作品」と思っていたことだ。だから、書き上げるだけで充分に満足、カウンタがまわればそれで満足だった。そこにはコミュニケーションはなく、一方通行の提供しかなかった。


ぼくは、たとえばiPodとかをケースに入れたり液晶にフィルム貼ったりする人が、わかんないんですよね(100年使うつもりなのかな? それともあとで売るため?)。傷が付くのがいいんじゃんねぇ、と思うので。 そうしてやっとpersonalizeされる。あ、ふつうに、ジーンズとかと同じ感覚か。

ブログも、ごめんなさい、傷ってつもりじゃないけど、コメントやトラックバックをもらって、はじめて完成する、と思ってます。ぼくが文章を書いて載せておわり、じゃないんだと(そのわりにコメントへのレスが遅いのはすみません)。ぼくも「作品」意識はありますけど、ある程度、参加型、ってつもりなのかもしれない。もっとも、文章は書いておしまいじゃない、ってのは、ここで何度も薦めてるとある本にはちゃんと書いてあって。考えて書いて読まれて反応をもらって、やっと文章はその一生を終えるのだ、と。だから無理矢理書かされたうえ読まれてるのかどうかすらはっきりしない文章など(宿題とか?)はひどくムナシイのだ、ということですよね。


あとぼくは、いろいろ試してみたい、ってことがあるので、けっこう書くもののネタもスタイルもバラバラで適当ですね。まなめさんの文章などは、もすこしくだけてもいいんじゃないかなぁ、とか自分なんかはすこし感じるのですけど、ぱっと見の感想なんであまり深く取らないでください。