すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

匿名と実名と黒木と津村とあなたとぼく

ekken♂ : 自覚のない荒らしにとって「黒木ルール」は全く非力です
takoponsの意味 : それでも黒木ルールは有効
煩悩是道場 : 有名ではない多くの人に「津村ルール」は適用出来ない


ここらまで読んでなんとなくわかってきた。要するに、「匿名か実名か?」なんてのは本質じゃなかったのですね。またおおざっぱな言葉を使いますけど、ネットがリアルに結びつく、これが、ヤバいのだと。例えばぼくが電車の中で携帯で自分のブログにコメントを書いている。それを横から覗き込んだ人が「こいつ……みちアキか!?」ってなったら、実名なんてバレてなくてもなんだかマズそうじゃないですか。どっかの掲示板に「毎朝×時××分××駅始発××行き電車の×両目あたりに××駅から乗ってくるDoCoMoの某機種をいじってるメガネの奴がみちアキ」とか書かれたら困る。

つまり何を背負って発言してるのか、ってことですね。そいつは何を失いたくないのか、何を引き替えにしてるのか。実名はリアルと結びつきやすいから担保としての価値は高いでしょう。そこまでしなくても、「発言者がWebサイトでもやってりゃ、そこでの信用を無くしたくはないだろう」という程度でも担保として使える、と考えるのが「黒木さん」なわけですね。でもそのレベルだと、ぼくのような自分のブログに価値があるともなんとも思ってない人には特に効果はないわけです。


で、ここから話は変わります。このブログの利用法について。

ぼくのブログは、とくに正しいことが書いてあるわけではないし、また、ぼくが「正しい」と考えていることを主張する場でもありません。というよりは、ぼくは、正しいことは人によって違う、という考えです。あるいは場所によって、時間(時代)によって違う。「客観的」と言いますが、「ぼくの客観」と「あなたの客観」もたぶん違う。おそらくぼくとあなたが一致できるのは「世界が存在する」という一点のみでしょう。(それ以外は、たとえば1+1が2であるということすら、時間空間的にローカルな領域でしか成り立たないとぼくは考えています)

というわけで、このブログに書いてあることは、正しいとか間違ってるとか、そういう観点から見るより、自分の生活に使えたら使う、その程度がいいと思います。書いてあるエントリを読んだら、すこし何かわかったような気がしたとか(そうであったら嬉しい)、あるいは「こうはなりたくない」と思った、反面教師にしよう、とか、そういう役立て方でもいいと思うし。別に、あるいは信じてもいいことが書いてあるのかも知れない。ただしその結果としてあなたは、気分を害したり傷ついたり、もしかしたらリアルで損を被ったりする可能性がある。でもそれに対する責任はぼくは負えませんよ、ということです。負わない、ではなく、負えない、負わせることができない、です。ぼくには「ネット上の担保」も「リアル」もないですから。絶対探し出して謝罪させてやる、というのでもいいですけど、まぁたぶんコストに見合わないですよね。