すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

大事なことはすべて過去ログが教えてくれる

昨日のエントリは昔書いたもののセルフインスパイヤです。「対無断リンクで覚えておくと役立つかもしれない3つのこと

ひとつ。実はリンクには3種類あります。

  1. 誰かがわたしにするリンク
  2. わたしが誰かにするリンク
  3. 誰かが誰かにするリンク

話がかみ合わない時は、たいてい違う種類のリンクのことを話しています。つーかさ、3番とか、どうでもよくない?


こんなふうなのな。1年弱前のエントリ。無断リンクうんぬんが流行ってたころの。読者が入れ替わるたびにこうやって過去ログをリサイクルするのってどうだろう。ichinicsさんに引用されたエントリが、なんだかいいなぁ、伝えたいことがあるんだなぁ、と感じて、えーとつまり今って退化してんのか?と思った。ichinicsさんのほうがうちの過去ログを覚えてるっぽい……。そうそううん確かにそういうの書いた、みたいな。


fromdusktildawnさんへ。自分の場合はかなり二分できます。世界は、「自分」と「自分以外」、自分と、世界から自分のカタチを抜いた雌型、にまず分けられる(それでも一対の/一体のものであることには変わりないですが)。セカイ系ってのは「きみとぼく」対「セカイ」なんですが、ぼくの場合は、ぼくの側に立ったことがあるひとは誰もいませんね。

シュレディンガーの胎児とかどうだ(さいきんこればっかですね)。つまり古典倫理学の見地からすれば堕胎はあくまで堕胎であり、それが殺人であるかどうかは外的要因(レイプであるか和姦であるか、避妊したかしないか、等)によって一意に決定できるとする。一方で最新の倫理学の成果によると、子宮の中の出来事はそれが当事者によって観測されるまであいまいな状態に置かれたままであるという。なんだそら。


ymd-yさんへ。そんなふうに元ネタは「無断リンク」なので、「わたしがわたしにするリンク」は入れませんでした。基本的に文句は出ないし。「自殺は殺人の特殊ケース」は確かに書いたと思います。今はもうちょっと幅広く捉えたいですね。私が私を殺す、という視点もあれば、私が私に殺される、という見方もできる。あるいは、老衰による自然死・病死・事故死そして自殺、みたいに、死に方のバリエーションのなかのひとつ、という考え方もできそうです。