すべての夢のたび。

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古典倫理学にみる因果律の破れについて

そろそろはてブでは「鏡の法則」も下火になってきたかなーという感じですが、もう1本いってみよう。


「鏡の法則」を批判するエントリで、「原因と結果の関係がおかしい」というタイプのものがあります。主婦A子の大切な息子がいじめられているという「結果」は、A子が大切にするべき人を責めていることに「原因」があるのだ、と言うコンサルB氏。これについて、どう関係するのか説明がなされていない、とか、関係の全くないものをあるように言い含めている、などという批判が展開される。

しかし思うのですが、そういう人たちは量子暗号通信が実用化されても使わないのかな? 「量子もつれ状態にある光子どうしは原因と結果の関係がおかしい」とか言って。いやそんなことはない使います、と言うなら、「鏡の法則」がNGで「量子もつれ」がOKな理由はどこにあるんだろう?

  1. 「鏡」は宗教で「量子」は科学だから
  2. なんか偉そうな人がそう言っているから(自分には難しくてよくわからないから)
  3. ちょっと聞くと信じがたいが、実際に実験が行われて正しいことが検証されているから

2番なら「権威主義なんですね」で終了だし、3番なら「『鏡の法則』は誰か検証したんですか?」かな? あれ、3も権威主義の変形? EPRパラドックスとか個人で実験できるわけでもないですしね。

1番、これはちょっと困ったな。なんとなくそういう人は多そうな気がするんだけど、こういう「イヤだからイヤ」は説得できない。つーか別に説得する気はないんですけど、自分が好き嫌いでモノを言ってるだけだってのは自覚して欲しいなぁと思う。まぁ好き嫌いでOKなんですけど(ぼくもそうだし)、なにやらいろいろ理屈こねまわして主観にすぎないのを客観的っぽく隠蔽しようとするのが、ちょっとなんだかなぁ、という感じ。


参考(になるかどうか…)