すべての夢のたび。

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反省

みやきち日記 : 「鏡の法則」がNGで「量子もつれ」がOKな理由 - 「鏡の法則」について(3)


先日書いた「古典倫理学にみる因果律の破れについて」ですが、みやきちさんほか、いくつかリンクやトラックバックをいただいています。というかRinRin王国さんにまで捕捉されてしまったのでもうちょっと来そうですね。

この記事なんですが、最初に“「鏡の法則」を批判するエントリで、「原因と結果の関係がおかしい」というタイプのものがあります。”と書いてあるように、「鏡の法則」を批判する人ぜんたいを批判するエントリではなくて、そのうちごく一部の人の批判の仕方に違和感があって書いたものです。ですので、みやきちさんが、

ですから、この法則に賛同する人も、その人なりによく考えて納得した上でそうしているのだと思います。そして、あたしのように賛同しない人だって、自分の頭で考えたあげく「納得しない」という結論を選んでいるわけです。前者が後者の鼻先にニンジンをちらつかせて「さあ、おれの/私のように納得しろ」と説得しても、それは多分無駄です。「納得する」というのは、そういうものではないのです。


と書かれていることは、理解できる、というよりも、自分も自分で納得しないと動かない人間です。ですが、ぼくが件のエントリで取り上げたのは、その「納得の仕方」、なにを根拠に納得したのか、についての話なんです(ちなみに引用された本は買って読んでます)。「量子もつれ」でなければ「TVがなぜ映るのか」でもいいのです(TVは「いかに生きるべきか」にあまり関係ないかもしれないですが)。TVの映る原理を説明できる人はそう多くないと思いますが、まぁ多くの人はそんなこと気にせず(納得して)使っているわけです。なのに、なぜ「鏡の法則」の場合に限り、「原因と結果の関係がおかしい」とかいきなりカガクっぽいことを言い出すんだろう、ということを言いたかったのです。


とは言え、うまく言えてないから批判されるんだろうなぁ。みやきちさんのこのエントリのブクマコメントでkmizusawaさんが

何ゆえここに「量子もつれ」の話などが出てくるのか。そういう例えを持ち出してくる思考回路じたいがよくわからない自分に気づいた


と書かれてますが、全体に対して正攻法で批判するだけの筆力は自分にはないので、一部に対して奇手を仕掛けてみた、というような感じです。しかし奇手すぎてそればかり目立ってしまったようで、kurokuragawaさんのコメント、

一卵性双生児じゃないんだから(いや、そうであっても別の個性を持った人間なんだから)、量子もつれの例えは最初から成り立たない


これは、さすがにどうしようかなーと思った。


ぼくは何度かここで書いてますけど、「書かれたものをどのように読むかは100%読み手の自由である」と考えていますので、マズいものを書いたんだなぁ、と反省しています。「鏡の法則」のような「大勢に叩かれる記事」を見ると、つい反対側の視点で見てしまうのですが、今後は、少数派、とくに逆風状態のそれについて味方になるようなエントリを書くときは、もう少し隙のないものになるよう注意したいと思います。