すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

ワーキングプア救済が私にとってどれだけのメリットになるというのか?

あるいは、“倫理・宗教・法律を持ち出さず、かつ情に訴える以外の方法で、「なぜワーキングプアを救済する必要があるのか」を説明してください。”

最初に、釣り、と言っておきます。「通りすがりの頭の固い善人」がいちばん御しがたい、と最近悟ったので。


ぶっちゃけて言うと、ぼくのような、ワーキングプアの人たちを見ても特に可愛そうという気も起きない、かと言って、社会道徳的に見て救済するべきであるとも思わない人、を、どうやって動員するのかなあって。それにはやっぱり、ちゃんと「救済するメリット・しないデメリット」を説いてくんないとー、と考えます。どうなの。あるのそれ。

「救済するデメリット」はあると思うんですよねー。たとえば今の過剰に便利な世の中って、そういうワーキングプアの人たちの働きに負ってる面がけっこうあるだろうと思うし。24時間営業のコンビニやレンタルビデオとか、ファーストフードのセットメニューの価格がヘタすると働いてる人の時給と変わらないくらいであるとか? アマゾンの配送センターなんかもけっこう酷いらしいですね。そういうのを、どの程度あきらめられるだろう。

それに救うっても、財源をどうするのかって言うと、当然ワーキングプア層より上の層から取るわけでしょう。つまりあなたからも取られる(ワーキングプア問題を語ってる人間なんてまず間違いなくその当事者ではないだろうからね)。割合から言えば、おそらくあなたはすごいお金持ちではない、はず。んでお金取られて痛いのはお金持ちじゃなくて普通の人ですよね。取られるよー? いいのかなー?

ここで、もっと上の層からいっぱい取ればいいじゃない、って言う人が必ずいるんだけど、ぼくはそれがよく解らないのですよね。インドに行ったとき、乞食が寄ってくる訳ですよ。で、お金を渡すと「少ない」って怒るのね。乞食の癖に……と思った(そして逃げると追ってくるし)。上の層が「あげる」って言うんならへへーとそれはそれは有り難く戴くべきだろう、とは思うんですけど、そうでない者が上の層に要求すんのは、それはちょっとずうずうしくない?って思う。まぁインドの乞食はプロの乞食・職業乞食だからいいんですけどね。でも「自分がワーキングプアになったらどういう気がするか考えろ!」という人は、じゃあ上の人の気持ちは考えないのかねぇ、と思いますよ。努力して努力して頑張って強者になった人が、下のほうから「金持ってるんだから多く出せよ」って言われたら、どういう気持ちがするだろう?(もちろん、「なんとなく強者」の人もいるでしょうけど、そもそも見分け付くのか?) ぼくだっても、上の層の人がお金出してくれたらいいなぁ、とはふつうに思いますが、自分から要求は絶対しないですよ。それはプライドのようなものに引っかかります。

救うべきだ、と言う人も、まぁ大半は自分では動かないですよね(政治家がやるべきことだとか言って)。もちろん、メリットの見えないぼくも動かない。なんの役に立たないという点ではワーキングプア層から見れば一緒です。可愛そうだと口では言うけどでもなにもしない人、と、単になにもしない人。どうなんだろう。同情だけでも、してもらえたらそれは嬉しいのかな?

そして殺人をする場合と違って、ワーキングプア救済をしないことには、罰則はない。たとえて言えばペットボトルを回収せず燃えないゴミに出すようなもんですね。いかがなものか、ということは言われるかもしれないけど、それだけであると(罪悪感にひたることはできますが)。ところでペットボトルは回収して再利用する方がコストがかかるらしいです。そういうものも世の中にはあるだろうけど、社会的正しさのためには、やるべきなんでしょうかね?

つーかまぁ、新語が導入されて言及数も上がってるけど、そのうち落ち着くでしょう。ニート、みたいに、なんか定着してしまう。なぜカタカナなのだワーキングプア。そのほうがなんかカッコイイから? そしてなんとなくだけどニートが働きだしたらワーキングプアにクラスチェンジするだけのような気もしないでもない。