すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

難文読解に挑戦

以前、某所で「無断リンクが良くないという考えが常識化してる」と言ったら、はてブコメで噛み付かれた。
常識でも何でもないのだそうだ。
少なくとも、数年間多くのHPを見ていれば、多くの所で何らかの形で無断リンクに触れていたので、常識か否かと言えば常識と言えるのだが、そんな話は知ったことではなかったようだ。


引用した部分の後半の解りにくさが異常なレベルに達している気がするので、なぜそういうふうに感じたのか考えてみる。(文章の「気分」は解る。“やりこめられたので皮肉のひとつも言い返してみたい”、というあたりだろう)

少なくとも、数年間多くのHPを見ていれば、多くの所で何らかの形で無断リンクに触れていたので、常識か否かと言えば常識と言えるのだが、そんな話は知ったことではなかったようだ。

まず、「少なくとも、数年間多くのHPを見ていれば」と来る。仮定である。しかし続く部分が「多くの所で何らかの形で無断リンクに触れていたので」と事実を述べているのだ。ここからもう変だ。しかも「少なくとも」以下は相手(読者・噛み付き側)のことを言っているように感じられる(自分の体験であれば仮定は不要だろう)のに対し、「多くの所で」以下は自分の経験したことを述べている。混じってしまっている。

少なくとも、数年間多くのHPを見ていれば、多くの所で何らかの形で無断リンクに触れていたのを目にしただろうから

とか、

少なくとも、私が数年間多くのHPを見ていた限りでは、多くの所で何らかの形で無断リンクに触れていたので

とかになるのではないかなぁ。(かなり冗長な部分がありますが、手を入れるのを最小限にするとして)

次。「多くの所で何らかの形で無断リンクに触れていたので、常識か否かと言えば常識と言えるのだが」という部分。論理がおかしい。ここで言う「常識」は、引用部分の前半の「無断リンクが良くないという考え」である。当たり前だが「多くのHPがなんらかの形で無断リンクに触れていた」ことで「無断リンクが良くないという考え」が常識になりはしない。「多くのHPが無断リンクが良くないという考えを表明していた」なら、「良くない」が常識になるかも知れないが(「多くの」じゃなくて「ほとんどの」じゃないと無理かも)、「何らかの形で触れていた」だけでは常識とはならないだろう。(ただし、筆者自身が「無断リンクが良くない」という考えを常識としている人物であったため、「良くない」が省略され、本来「無断リンクが良くないという考え方に触れていた」とでも記述されるべきところが「無断リンクに触れていた」となってしまっている可能性は考えられる)

そして、「そんな話は知ったことではなかったようだ」と来る。もちろん、筆者の個人的経験(多くのHPが無断リンクに触れていたのを自分が見たことから、「無断リンクは良くない」という考えを常識と判断した)など読者・噛み付き側は「知ったことではない」ので、ここはある意味間違ってはいないと思われる。が、まったく当然のことを今さらのように主張されている感じがして、妙な気分が残るのかもしれないな、と思った。