すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

森の中で木が倒れて、

その木の枝がマウスのボタンをクリックして、パソコンにインストールされている自動作曲ソフトが起動して、曲をひとつつくりあげた、とする(それなんてピタゴラ装置?)。そしてまた別の木が倒れ、その枝が今度はいまつくられた曲を削除した、とする。

その時著作権は発生したのかどうなのか?

著作権の発生/消滅は物理世界にまったく影響を及ぼさない。まったくってことはないか。誰かの脳内のシナプスの結合くらいは、変わるかもしれない。でもそれは心身二元論で言えば心の側の話だと思う。ある曲に著作権があろうがなかろうが、その曲の聴こえ方が変わるとか、演奏/再生しにくくなるとか、そういったことはありえない。あるとすれば、それは著作権の有無を信じる・気にする人間が振り回されているだけのことだ、と思う。

ぼくはおおむねそんな感じで、権利や義務、責任といった類のものを考えている。それらは全部「脳内のおはなし」だ、フィクションだというふうに。それらが「ある」と認識する人たちだけに見えるものだ(どこかの国の人の人権とか?)。

そしてぼくはどちらかというとそういったものは「ない」とする側だ。だから、もしぼくが権利や義務や責任、あるいは法や倫理、などなどに「要求されていること」を守るような行動をしていると見えることがあるならば、それは、「自分の損得」や「誰かの感情」や「なにかに対する尊敬」、そういったものに従ったゆえの行動が、たまたま「要求されていること」に沿っているように見えている、ぐうぜん一致している、というだけのことだと思う。