fromdusktildawnさんがまたふしぎエントリを書いてらっしゃるので。
劇場管理人のコメント : 死の意味づけと死に対する戦略
「は、世の中にあふれてる」ということで、現代アメリカでは、仏教では、武士社会ではというふうに例を挙げ、やや批判的な位置から解説を加えられてます。
んで、ヒンズー教の解説について少し。ヒンズーは輪廻からの解脱を勧めているのだと思いましたが。人は人にも動物にも神にも生まれ変わることができる。が、人より遥かに長い寿命を持つ神すらも死という苦からは逃れられぬ。そこで解脱、輪廻の輪から外れちゃうのが一番ですよー、という教えだったはず。
まぁそれはいいか。ひっかかったのはここです。
これをやりつづければ、それは死を見極めることには近づくのだろうけど、死の問題の根本的な解決に近づくのだろうか?
??? ここまでにいろいろと挙げられた「死に対する戦略」は、それぞれが、それぞれを信じる人にとっては、既に「根本的な解決」となっているものばかりじゃないんでしょうか。fromdusktildawnさんはそんなおとぎ話を信ずるには至らなかった、というだけで。
でも、結局、これもごまかしにしか感じられないという人が一定数いる。困ったものだ。
弥勒を目指されることにでもされたのでしょうか……。
というか、自分より大切な人がいたら、それでOKなんじゃない?
全身全霊をかけて愛する人。その人のためなら、なんの迷いもなく死ねるような、そういう素敵な相手。恋人。子供。
うわ。これでは非モテはモテないばかりか死の恐怖からも逃れられない(笑)。
fromdusktildawnさんは死を怖ろしいと感じない方の人だと思っているので、なにかいまこういうことに関心が向いてる理由があるのかな。まぁ自分はこの手の話は好きなので、なんだろーと思いつつ見守らせていただきます。