すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

「とげとげ」と「ねばねば」のはなし のつづき

遅くなりましたが続きです。承前

で、ですね。途中まで書いてわかったんです。いまの自分は「とげとげ」と「ねばねば」のはなしを書くにはまだまだぜんぜん力不足だと。どうしよう。まぁいいか。もともと最初から「何を書くかあまり考えずに始めたらどうなるか試してみよう」ってつもりだったので。すみません。


さて、とげとげ派に典型的な言い回しがあります。「○○は××に過ぎない」ってやつね。これ、よく見ますよね。「人生なんて××に過ぎない」とか、「○○なんて脳内の化学作用に過ぎない」などなど。あと「定義」って言い出すのもとげとげの人ですね。「それは○○という言葉をどう定義するかによって変わってきます」とかね。まぁとげとげな文章を書いてるからとげとげな人だとは限らないのですが、先進国の人間に占めるとげとげ派とねばねば派の割合からいったらとげとげである可能性が高いです(ところでぼくがまず思い浮かべる「ねばねば派」の物書きはよしもとばななです)。そういう「過ぎない」「定義」系のコトバを使う人たちは、たとえ表面上は相対主義とか構造主義とか脱構築を気取っていても本質はとげとげ派(絶対的ななにかを信仰するものたち)です。そういうことはごくふつうにあります。例えばそれは知識としては地動説だけど日常会話では「日が沈む」と言うのと同じです。実感から出ている思想ではないわけです。ほんとは絶対主義、なんですね。(ところで実際には太陽系は銀河系中を移動しており、さらに銀河系も銀河団の中を移動している(というより、宇宙のどこかに基点があるわけではない)ことを考えると、地動説というのも天動説の一種に過ぎない気もします)

「○○は××に過ぎない」のような言い回しは、とげとげ派の還元主義的性格から来ているものと思います(還元主義(かんげんしゅぎ 英:Reductionism、独:Reduktionismus) とは、複雑な物事は、それを構成する要素に分解し、それらの個別の要素だけを理解すれば、元の複雑な物事全体の性質や振る舞いもすべて理解できるはずだ、と想定する考え方。―Wikipediaより引用)。「定義」を求める性質は絶対主義的性格かな。モノとコトバは1対1で対応づける事が可能、という考え方ですね。そのコトバはどこからどこまでの範囲を指すのか、輪郭をきっちり定めることができる、という思想です。この思想は先に挙げたソシュールの理論によってすでにひっくり返されているのですが、日常生活ではやはりそこから脱することは難しいです(というより「差異の体系」的言語観がまだぜんぜん浸透していないだけですが)。コトバの定義を求めたところで、先に辞書の例で見たように、その定義自体もコトバで行うのだから、絶対確実な基盤などにはいつまでも辿りつかないのですが。(この逆の「証明」って発想もとげとげのものですね。「確実」なものから出発して少しずつ陣地を固めて行くわけです)

というふうにコトバはねばねばでした。では、モノのほうはどうか。還元主義では物質をどんどんその構成要素に分解して性質を探っていきます。原子。陽子や中性子や電子。クォーク。サブクォーク。サブサブクォーク??? ここで、「もうこれ以上分割できない」という最小の粒子がついに見つかったとしましょう。すると、私たちには「“それ“(最小粒子)がいったいなんであるか」はわからないのです。だって分割できないってことは「内部構造を持っていない」わけですから。“それ”について言えることはもう、なにもないということになるのです。「水素原子は陽子1個と電子1個からできている」とは言えますが、「最小粒子」についてはそういう言い方はできないのです。“それ”とは“そういうものだ”と考えるしかない。“それ”については他の粒子との関係によってしか記述できない、ということになります。つまりコトバの場合と同じです。A粒子はB粒子・C粒子とこれこれこう関わるものである、B粒子はCやAと云々、というふうにしか言えなくなってしまう。どうどうめぐりでそこには絶対的基盤はないんですね(最小粒子は内部構造がないのに、「なぜか」他の粒子と関係することができる、ということになる)。還元主義では物質世界は説明できません。大型の加速器を使って実験をしているとげとげ派科学者の人たちが、最小粒子を見つけることを目的にしているのでないのであればいいのですが……。(もしかしてもう必要以上に、自然に存在する以上に小さく割っちゃってるんじゃないかと心配になります)


このように、コトバだけでなくモノもねばねばであるということになります。つまりこの世界ぜんたいは実はねばねばしたものなのです。というわけで続く。(ええー??)


追記:一部誤字を修正。ご指摘ありがとうございました。