すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

なぜいつも「途上国の子供」の話が出てくるのか?

partygirlの日記 : さくらちゃんと、途上国の子供の命の値段


partygirlさん頑張ってるなぁ。批判されても曲げないで意見を言い続けるって難しいですよねー。(でもそう思う気持ちにいくらかガール(未確認)ボーナスが加算されていることは否めない)


さてと。この手の話で必ず出てくるくッだらない批判が「難病の日本人の子供ひとりを救うお金で途上国の子供が何人救えると思っているんですか」ってタイプのヤツです。「だから、わたしは途上国の方に寄付してきました」って続くケースは見たことないんですけどね。おごらない誇らないのが日本人の美徳なのかもしれないけど(ぼくも赤い羽根付けられるのは恥ずかしいしなぁ)、たぶん、そういうことではないよね。単にどっちにも寄付なんてしないんだろうと思う。

おそらく、「途上国の子供」を持ち出すタイプの人間は、たとえばぼくがここで「途上国の子供にワクチン接種をする募金をしてきました。これでXX人の子供が救われると思うと」とか書くと、まぁ表だって批判はしないまでも「(そんな何百万もいるうちのたかだかXX人が救えたくらいで……)」って思うんじゃないかな。つまりはこうだ。その人に内面化された“善さの基準”でいっても

  • 難病の日本人の子供に寄付 > 寄付しない
  • 途上国の子供に寄付 > 寄付しない

ってのは明らかなんだろうな。しかしこれでは寄付しない自分は最低の位置だ。だから「途上国の子供に寄付 > 難病の日本人の子供に寄付」って図式を持ち出し、「自分は“ほんとうの善さ”ってのがなんだかわかってるよ〜ん」ってことにする。つまり“善さ”が理解できる自分には“良心”がある、寄付しないから“良心”がないわけではないんだ!ってイイワケを作り上げ、寄付しない自分を責めてくるものたちから一時的に心を守ろうとしているのだろう。

……ってあたりが一瞬で行われてるのが、呆れるほどにワンパターンな「途上国の子供」系批判の正体なんじゃないかなぁ。このことを思考停止してる批判者本人に悟らせるのはなかなか難しいとは思うけど。