すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

まぁそういったものなのかなぁ、という話

asahi.com:炊き出しに路上生活者が長い列 苦情で中止、苦渋の決断

ここのブコメ見てるともにょもにょする。事情も知らないで住民批判してる人が多いんだろうなと感じる。「週一回の炊き出しすら許容できないのか」じゃないんですよ。この炊き出しに来る人たちは、普段からここの近辺に住んでるわけです。そんな遠方からわざわざ来るわけないじゃん。浅草発着の水上バスで隅田川を通ると、一部河岸が青いビニールハウスだらけの区域があってギョッとする。あーこれが東京なんだ、外人さんにも超見られちゃってる!と思う。

東京では昔、ゴミ戦争というのがあったそうです。都内から出る大量のゴミの多くが江東区(えとうく、じゃないよ)の埋め立て処分場に運ばれていた頃の話。wikiには「1971年には特別区で排出されるゴミの7割が江東区に運ばれ、毎日5,000台以上の収集車などが区内を走り悪臭やゴミ火災、交通渋滞、ハエの発生などが深刻な問題となっていた」とあります。で、自分のとこで出したゴミは自分のとこで処分しろ! 自区内に清掃工場を建設しろ! と主張する江東区長と住民がついに実力行使、区内の処分場への道路をバリケードで封鎖したという、そういう事件です。ぼくは子供のころ江東区民(しかも夢の島の近所)だったので、こういった「歴史」は小学生のころ教わったし、社会科見学でゴミ処分場を見にいったりもしました。自区の大人たちを頼もしいものだと感じた。

けれどまぁ、そういうことは、あると思うんです。清掃工場とか、火葬場とか、もちろんどこかに必要なのはわかる。でも、自分が住んでる近所だったらちょっと嫌かも……とは、誰しも思うんじゃないのかなぁ。オウムの時だってあちこちで受け入れ拒否してたじゃーん、もう忘れたのって。そういう想像力もなしの一方的な批判は……なんて言うのかなぁ。事情を知らないのはきっと仕方ない面もあるんだと思う。ぼくだっていちいち詳細なことまで調べてエントリ書いたりしてるわけでもないし。でも、浅い。あっさいなぁと思います。この炊き出しの近所の住人たちは、今まではずっとこの人たち許容していたわけです(嫌々かもしれないけどそのへんはわからない)。それが、この不況で集まる人数が一気に増加したんで問題になっているんでしょう。

変ですよね。住民批判をしている人たちは正義の側に立っているつもりなんです。でもその口調が、派遣村に流れ着いた人たちを「自己責任だ」と叩きまくった人たちになぜかそっくりなのですが。(ってお前が言うな?)