すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

大した知識もなく発達障害を語る

先日書いたエントリ「空気を読み取る器官の欠如」について、ぼくが引用した増田のエントリを書かれたご本人であるところのid:cambrianさんよりブコメをいただきました。

cambrian エントリーの意図するところを比較的良くご理解くださってますね。ありがとうございます。


理解しているかどうかは実は怪しいです。ぼくのエントリについてはcambrianさんからコメントもいただいているのですが、その一部を引用します。

“「空気を読み取る器官の欠如」を身体障害者の例になぞらえている”のは、診断を受けたときの担当医やカウンセラーが、押しなべてそのような説明をしてくれたのでほぼそのまま引用しています。身体器官の欠損と、残された部位の活用という点では、何ら変わるところは無いんだという事実の提示に過ぎないんですが、そこから「助けてちゃん信号」見たいな物を読み取ってしまうのが普通人なんでしょうか?そんなもん、織り込んでないんだけどなぁ?


ぼくは、助けてちゃん信号を読み取らなかったというよりも、発達障害を持っている人独特の世界の捉え方に強い興味があったため、ぼくの想像したソレの有様をエントリの中心に据えることになったものです。そして、その一部が的を射、かつ「空気を読んでいない(謎の信号を受信していない)」点において、cambrianさんのエントリの意図を正しく理解した人が取るだろう反応に結果的に近い動きになったのではないか、と思います。

というか、cambrianさんのエントリの意図を「正しく理解する」ってのも変な話で、書かれたものをその通りに受け取ればいいだけなんですよね、ここでは。普通人たちが、発されてもいない空気を勝手に読んでエラーを引き起こしているだけであって。「空気を読む能力」は、人間がお猿?から進化していく上で獲得した「必要な能力」だったと説明されますが、実際普通人たちの間でもそいつがコミュニケーション上の弊害となったりすることが多々あるわけで、その説明は本当に妥当なものなんだろうか?とは思います。むしろ何かの副作用とか副産物とか、そういったものだったりするのじゃないかなぁ。(ただ「じゃあなくてもいいのか?」と言われると、ないと味気ないというか、あったほうが世の中面白いだろうとは思います。でも、これも、自分の住み慣れた世界をそう感じているだけのことかもしれません)


ふと、その昔「人は、思ったことそのままを喋ってるわけじゃないんだ!」と気付いて、意識して話し方を変えるようにした日のことを思い出しました。そんなような瞬間が他の人にもあるのかは知りませんが、自分のそれは小学校を卒業する直前くらいだったようです。その他にも、発達障害、なかでもアスペルガー症候群と言われるものの症状のうち、いくつかは自分にも思い当たるものがあったので、オンラインの診断テストをやってみました。結果、20点と出て、それは特に高い点数ではないようでした。

こういったものはひとつの目安に留めておくのがよいようですが、では一度きちんと診察を受けた方がいいのか?というと、それも、ぼくは別に生きていく上で大きな困難を感じているわけでもないので(ちょっとはありますよ)、あえて受診の必要はないのだろうと考えます。まぁ「細かい数字を扱うのが得意」とか「集中してひとつの作業に当たれる」とか、明らかに「これは違うなぁ…」という部分もあるので、ぼくの“症状”はもっと別の何かなのかもねーと思うことにします。