- 作者: 石黒浩
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2009/11/19
- メディア: 新書
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先日紹介した『ロボットは涙を流すか』より前に書かれた石黒浩教授の本。内容的にはカブりも多いですが、先の本がロボット一般も扱っていたのに対し、こちらは自身の開発されたロボットの紹介が中心で、また思想的な面も前に出されています。ぶっちゃけて言うと、石黒教授は人間に心があるとは考えてらっしゃらないようです(笑)。
中でも印象的だったエピソードを紹介。かつて教授はロボットが登場する演劇に取り組んだことがあるそうなのですが、その時に脚本と演出を担当したのが、かの平田オリザ氏。この劇に登場するのは人間2人+ロボット2体です。
(略)私が驚いたのは、平田氏の演出方法である。平田氏は、役者に対して一切精神論を口にしない。「もっと感情を込めて」などの、解釈が難しいことは何一つ言わないのである。そのかわり、役者の立ち位置や間の取り方については非常に厳密である。50センチ前に来てとか、0.3秒間(ま)をあけてというように、まるでロボットを制御するように、役者に指示を与えていく。それを見ていて、これならば簡単にロボットもプログラムできると思った。
鳩山首相の「いのちを、守りたい」演説でも、「、」部分の演技指導をされたのでしょうかね(笑)。
演劇に必要なロボットの動作がおおむね完成し、脚本ができあがった時点で、役者とロボットを使ったリハーサルを繰り返した。そのリハーサルは非常に興味深かった。
まず、俳優たちが大きなショックを受けた。それは、平田氏の彼らに対する演技指導と、ロボットに対する演技指導にまったく差がなかったためである。平田氏は、役者にもロボットにも、その立ち位置やタイミングを厳密に指示する。役者たちは、自分たちはロボットと同じなのかと思ったという。
私がそのことを話すと、平田氏は、
「役者に心は必要ない」
と言い切った。平田氏の指示通りに動けば、必ず演劇の中で心を表現できるというのだ。
もともと「ロボットに心を持たせる」のは無理と考え、「ロボットが心を持っているように見せる」ことに関心があった石黒教授は、平田氏と一緒に仕事をしたことでその思いをより強くされたようです。
平田氏の演技指導は、先にも言ったように非常に厳密である。たとえば、ロボットと人間の対話で、「人間の方は、あと0.3秒間を取って」というように指示をする。そうすると、なぜか、ロボットと人間のシーンなのに、両者の間により深い感情のやりとりが見えるようになるのである。
その様子を見たとき、私は、「答えはここにある」と思った。
この劇を見た人にアンケートを取った結果、ほとんどの人から「ロボットに人間のような心の存在を感じた」と回答を得たそうです。
「心」とふだん口にしているそれは、実際考えてみると非常に大雑把であいまいなものです。そして、計算や判断もロボットは行える。それどころか、感情表現も行え、見た人に心の存在を感じさせるまでになっている。しかしこのロボットを分解してもどこにも心なんてものはないわけです。故に、教授は、心などは存在しないのではないか、と言う。
しかし、石黒教授にしても生活上の実感は別(=心の存在を感じる)で、その矛盾は解消できないそうです。また、上のような話を聞いたぼくも、何かが違う、と感じる。ただ、実際違うのは「内側から見ている誰か」がいるかどうか、もうそれしかないのではないかと思う。ロボットには、それはいないんじゃないか? でもこの「誰か」は、中にいるのかどうかは外から見ても判らないし、どんな役割を与えられていて、その「誰か」がいることで一体何が違うのか、それも判らないという、甚だ厄介なものだったりするのですが。それってほんとうに必要なものなのでしょうか?