すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

左は左 右は右

というツイートを居酒屋で見て、まぁふつうならスルーするのですがアルコールが回っていたためreplyをしました。ちなみに、ぼくはtakaroさんに(なぜか?)フォローされているのでフォロー返しをしています。

以下やりとりを。

この後ぼくはreplyを返していないので、ここまでです。

最初のツイートでぼくが引っ掛かったのは「それを他人にまで強要するのは何故?」という部分です。なるほど、左の人は強要されてるように感じるのか。しかし右寄りのぼくだって左の人に同じように感じるんだよ、ということをreplyしました。

すると謝罪するのは公的主体の国であって個人ではないと言う。ふむ。では賠償金を払うのもやりたい人だけでいいではないか、と言うと、それが望ましい、とおっしゃる。ここまで、ぼくとtakaroさんの間に大きな食い違いはないように見えます。

しかし、この先へ話を進めると、多分面倒になるだろうな。そう感じてreplyは止めました。

では賠償基金が出来なかった場合、あるいは充分でなかった場合、どうするのか。ぼくはもちろん、「お金がないなら払えない」ですが、おそらく左の人は「国として払うのもやむ無し(あるいは"当然")」という意見になるのではないか。そう想像します。(もちろんそこには、賠償金支払いに反対の人の収めた税金も含まれるわけです)

ぼくはぼくで左翼の人の心情が解らないのです。そもそも国内が問題だらけなのに、なぜ外国にお金を渡すことを優先するのか。順番がおかしいではないか、と、そんなふうに思うわけです。自分を犠牲にしてまで他人に尽くそうとするような姿勢はバランスが崩れていると考えます。

しかし左の人は、それが美しいとか、良いとか、人として正しい道であるとか、そうするべきであるとか、賞賛されるべきであるとか、そのように感じるのかもしれません。このへんは一度ちゃんと聞いてみたいですね。しかし、もしほんとうにぼくの想像通りなら、やはり、わかりあうのは困難なのだろうなと、そう思います。