すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

科学にも答えられないこと

なにもない場所からは、なにも生まれないだろ
電子が―って言うけど、
その電子はどこから来たんだよ・・・・・・・・


科学は、それが"どのように"あるかは答えてくれるけれど、それが"なぜ"あるかは答えてはくれません。

マジレスすると何もないところにもトンネル効果でエネルギーが流れ込み得る
宇宙の発生はトンネル効果によりエネルギーが流れ込んできた事が発端と考えられている
電子がーってのはそれを説明するのに電子のトンネル効果を引き合いに出したんじゃないの


以前は、ビッグバンの瞬間より前にはさかのぼれない、みたいなことが言われていました。近頃は、真空にもエネルギーがある、みたいな話を聞くようになりました。

無から有が生まれるかもしれない。それは理解できる。ゼロは1と-1に引き裂くことができるから。しかし、「それができる」というルールは、なぜあるのか?

少なくとも、モノがなにもなくても、安定し継続するルールがなくては、そこからはなにも始まらないのではないでしょうか? だって瞬間毎に物理の法則が変わってしまうような世界では、なにもまっすぐ転がることもできないでしょう。ではルールはなぜあったのか。

ここらへんがぼくが想像できる限界の気がする。まだ先へ行けるだろうか?

人の頭が世界を理解可能だろうか、ということについて、ぼくは絶望的観測を持っています。ごく端的に言って、世界の部分であるぼくは、世界全体を理解できないと思います。部分は常に全体より小さい。それが部分の定義ですから。データを圧縮すると常に元より小さくなる。そんなことがあるはずがない。

それに、世界はぼくを含むゆえ、ぼくが世界を理解したら、世界は変わってしまう。ぼくは「世界を理解した」と思ったのですが、その世界は「世界を理解していないぼくのいる世界」であって、次の瞬間には「世界を理解したと思ったぼくのいる世界」になってしまう。ぼくが何かを考えることによって世界は変化してしまうのです。捉え切ることはできない。(なんかゲーデル数みたいなテクニックを使えばできるんでしょうかね)

逆に言うと、もしぼくが世界を理解できたなら、ぼくは世界であるということになる。いや確かに、そういう宗教はあるような気がしますが。汝其れなり。ブラフマンとアートマンは同一であると言いますし。