すべての夢のたび。

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マイクロチップとしてのぼく

 人間の脳が情報を処理する方法を模倣するマイクロチップを開発したとする研究論文が22日、米科学アカデミー紀要に発表された。これにより、人間の脳という「世界で最も効率的なコンピューター」がどのように機能しているかに関する謎の一部が解明されるという。


記事タイトル見てすぐにイーガンを思い出しました。

近未来の世界、人々はバック・アップ用の〈宝石〉を頭の中に持っていた。〈宝石〉には〈教師〉がついていて、宝石と脳が同期するようにモニターしている。幼少期からの訓練によって、宝石は脳の完全なコピーになる。そして人々は、脳と宝石をスイッチし、神経系統を配線し直し、永遠の命を得ることができる。しかし主人公の“ぼく”は、そのことに疑問を持つ。宝石はただの機械であり、脳の代替物にならないのではないかと。


何をしているのかは分からないにせよ、とにかくマイクロチップに脳へのインプットと脳からのアウトプットをひたすらモニタリングさせる。こういうときはこう、こうならばこう、そんなふうに真似ができるようにする。そうすればやがてはチップは脳の模倣を完璧にこなせるようになるだろう。イーガンの短編はそういう発想ですよね。

さてそれで、身体のコントロールを元の脳からマイクロチップのほうへ切り替えたらどうなるんでしょうね。<わたし>は脳からチップに移るのか。多くのSFは当然のようにそれはできるとして書かれていますけど、ぼくは無理なんじゃないかなーと思ってます。<わたし>はメガネを外したり掛けたりするように人から人(or物)へと移せる性質のものではない。だから、脳を機械化するのも無理だし、肉体を捨ててコンピュータシミュレーションの世界へ移住するのも無理だと思ってます。

なんで無理なのかーってのはまだうまく説明できないんですけどね。でも仮に、もし脳をコピーしたマイクロチップに<わたし>を移すことが可能なんだったら、移す前後のチップになにかしらの違いが現れなくてはいけないはずです。移す前はそのチップは哲学的ゾンビみたいなもので、正常動作してるけど<わたし>という意識だけはない。そして<わたし>を移したあとも動きは変わらないとするなら、<わたし>はチップのシリコンではない部分に宿っているということになってしまいます。そりゃオカルトだとぼくは思う。

じゃーぼくはわたしは、<わたし>はこの脳の牢獄に一生ずっと閉じ込められたままなのかい、死んだら終りなのかい、って聞かれると、いやいやそーでもない、と考えてるんですけどね。まぁその辺の話はまたいずれ。